2009年4月12日日曜日

マンガ対アニメ、一本勝ち

今学期の講義もあと一週間と終わりに近づいた。教室では、最後の一章の絵巻が課題となり、小テストも済んだ。その中のクラス風景を一つ記しておこう。

学生発表で、発表者が熱を込めてマンガとアニメとの優劣を語り続けた。メディア、音声などについての議論を促そうとしたわたしの講義の思い入れに答えようとした一つの努力に違いなかった。それを聞きながら、思わずつぎのような質問をしてみた。「もしおなじストーリを伝えるマンガとアニメが両方あるとすれば、どれを選ぶ?」学生たちはさっそく反応してくれた。発表者だけ迷わずマンガのほうに手をあげたが、結局はアニメのほうが、二対一以上の大差で勝ち、あっさりと勝負がついた。別の学生は、すかさず通的な意見を補足してくれた。曰く、日本でこそマンガが流行ってからアニメになるとの流れだが、北米にいると、そのマンガを読もうとしても読めず、結局はアニメでストーリを楽しむほかはないんのだ、とか。日本と北米での市場現状のことまで目を配った、非常に大人的な見解だった。

マンガとアニメ、もともと異なるメディアで、読書あるいは鑑賞もこれまたあくまでも個人的な経験なのだ。そういう意味で、違う体験を比較させようとする質問の仕方には、かなりの乱暴なところがあったのだろう。ただし、若者たちの無邪気な対応やはっきりした反応は、大切なヒントを示してくれていることも見逃せない。人間は豊富なメディアになじみ、豊かな感性を引き出すような表現手段をいったん手に入れてしまえば、かつてあった素朴な手段に逆転することなどとても難しい。「むかしはよかった」、「よいストーリはじっくりと時間をかけて噛み締めるべきものだ」、といった議論をしても、とうてい始まらない。

マンガやアニメが究極に発達したところに、「リア充」などの造語が世の中を流行ったとか。NHKニュース番組にてこれを聞いて、信じられなくて調べてみたら、すでにウィキペディアに解説が設けられている。ただし、ウィキペディアの日本語版のみで、英語も含めて、多言語での対応リンクは一つもない。これ自体は、アニメを語る教室の中の若者たちから感じ取った印象とはとてもマッチしていて、妙にナットクした。

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