2010年8月17日火曜日

英訳と俳画

週末にかけて一つの学会に出かけてきた。そのテーマは日本語教育。日本語の現状や教え方をめぐって参加者たちが大いに語り合った。その中で、期せずして絵に関わる議論にも出会って、あれこれと考えさせられる瞬間があった。

基調講演で述べられたつぎの一件は、とりわけ印象に残った。日本語の英訳というテーマで、そこに挙げられた実例の一つは、あの「古池や」という俳句をめぐるものだった。蛙はFROG。ただし、あの句において、それが一匹の蛙なのか、それとも複数のものなのか、言葉のレベルで表現されていない。いわば作者と読者との間の共通の理解に任せられ、あるいはたとえその理解が共通しなくても、許容される範囲に属するもので、無言のうちに処理されるべきものだった。しかしながら、一旦英語に置き換えてみれば、これがとたんに問題となってしまう。訳者はともかくどれか一方に決め付けなければならない。厄介な問題だ。そこへ講演者は、俳画を持ち出した。芭蕉本人もかかわった作品を紹介して、いわば作者においてはそれが単数だったことをスマートに立証した形になった。

それにしても、おびただしい英訳の存在は興味深い。いま問題にしている蛙の訳をめぐって言えば、訳者の解釈をもとに、それを単数としたり、あるいは複数のものだと捉えたりしたとの結果は、簡単に想像できる。だが、思いも寄らないものもあった。なんと「FOG」のみで、前置詞も、複数もつけないような訳だった。英語でありながら、英語の基本ルールを無視した。こんな翻訳、はたして読者に伝わるのか、いや、翻訳者のきわめて個人的な遊びに流されるものではないかと、疑問を感じてならなかった。

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