2015年5月2日土曜日

トランプの小屋

一年分の講義が終了して二週間経った。片付けるべき仕事などにはかなりの対応が必要だが、日々の活動には明らかに余裕が増えた。その中で、小さな怪我をこじらせ、机の前の時間がさらに多くなった。それもあって、あの評判のドラマを覗いてみた。英語の原題は、トランプ・カードで出来上がる家、そのままの意味なら、とりもなおさず「砂上の楼閣」ということだろうが、正式な邦題には、野望やら階段やらが付いていると聞く。

普段は、テレビドラマを遠慮してきた。時間的なリズムが性にあわないというか、見はじめたら止まらないという事態をなんとなく恐れている、ということかもしれない。さいわい今度の一篇については、そのような状況が起こらなかった。ドラマとしては、かなり上出来だと言えるだろう。さまざまな工夫が施され、ストーリの設定などにも文句はない。それでも四十時間あまりをかけてしまうようなことは、ありえない。やはり連続ならではの重複性、だろうか。とりわけこのドラマの場合、テーマにしているのは、あくまでも陰謀と権術なのだ。それも、トップに上り詰めた権力者が平気に自分の手で殺人を犯したり、国会議員に言葉通りに手錠を掛けたうえで評決に強制参加させたりして、極端な作り話だと分かっていても、目に余るぐらい度を超えたものだった。悪のへの共感あるいは覗き見の欲望をベースにしたものだと想像はできるが、それならばいっそう辟易する気がしてしまった。

ただ、ドラマの生命線であるセリフは、さすがに練られている。晴と褻の対比の具合は絶妙だ。素っ気ない会話が多いからこそ、晴れが際立つ。両者のギャップの距離は、やはり見る人を惹きつける楽しさの一つだと言わなければならない。

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