2017年3月4日土曜日

中世化する現代

すでに六週間ほど前のことになるが、京都への研究会参加のおり、貴重な思い出があった。懇親会の席上、研究所に新しく着任された中世歴史専門の若い学者に紹介され、短く会話を交わした。しかもその翌日のコーヒーブレイクにおいてもさらに会話が続き、目下取り組む研究課題のキーワードまで教えてもらった。その方の近著はしかしながら普通の読者に広く読まれるベストセラーになり、しかもなんと今週のNHKのニュースにまで取り上げられるまでに至った。少なからずに驚いた。

著書のテーマは、あの応仁の乱。研究書が一般読者に受け入れられるという、やや意外で、しかし大いに喜ばれる事象に直面すると、ベストセラーの作り方、宣伝の戦術、いまならではの情報伝達の特徴、そして学問のあり方やそれへの眼差しなど、さまざまな方面から語られるようになる。その中で、とりわけ目を引いたのは、このテーマが読者の心を掴み取ったこと自体を、一つの文化的な事象として捉えようとする分析の仕方だった。さまざまな読者の声が紹介され、個人的に印象に残ったのは、その中の一つである「中世化する現代」という文言だった。言おうとすることは、いまの世界規模で起こっている価値観の変化や秩序の変容の兆しへの不安であり、そのような感覚を中世へのイメージの重なりを見出そうとしているものだろう。いわく、中世とは、支配する権力はなく、自分で生き抜くべき乱世だとか。はなはだステレオタイプ的な中世観だが、このように認識されているものだと、むしろあらためて認識させられた思いがした。

NHKテレビ番組の報道の掴みは、事件の年を覚えるための、「人世虚し」の一言だった。はっとした。歴史入門のクラスで、応仁の乱にはいつも一時間を割り当てている。しかしながら、年号を覚えようとする努力を自分ではしていなくて、学生たちにもさせてはいない。ただこのようなフレーズをたまには取り出すのも興味深いと、まずは記憶に止めておこう。

新書が20万部超のヒット

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