2018年4月7日土曜日

織り物考古

いま中国において、模倣からスタートし、瞬く間に驚いた発展を遂げた実例は枚挙に遑ない。このごろ、ときどき覗いている講演録画のサイトがある。サイトの名前は「一席」(「一席の話は十年の読書にも勝る」との故事からくる表現)。録画の作り方も、会場の配置も、そして動画導入の音楽まであのTEDの複製だと一目で分かる。だが、あくまでも中国の知識人に登場してもらうもので、その話題は古今に亘り、飾らなくて濃密な知識をもって聞く人々を魅了してしまう。数日まえに見て深い印象を受けたものには、「織り物考古」というテーマを取り上げた講演があった。

講演者は、過去四十年以上考古の現場に活躍し、とりわけ織り物についての発掘、保存、復原に努めた学者である。あの馬王堆の発掘をはじめ、それこそ錚々たる実績を積み重ねてきたのだ。けっして広く知られておらず、苦労と冒険と喜びの織り交ぜた数えきれないエピソードなどを一つまたひとつと語られたのを聞いて、目の前に未知の世界が生き生きと開いていく思いがした。途方もない辛抱強い作業の末に鮮やかな色が甦った千年前の宝物の姿を捉えての感動、内容の分からないものには、早急の名前などを付けずに番号のみで公表して各方面の専門家に参加してもらうなどの慎重な対応への感銘、倍葬する若い女性たちの身元への推理への納得など、どれも特筆すべきものである。一方では、織り物に施された竹の模様が、発見した瞬間の緑色から見る見るうちに枯れ葉の色に変色し、描かれた竹の生涯を目撃できたことを考古学者の冥利としたところには、千年単位で伝わったものをはたしてそんな軽率な対応で良いのかと、疑問も禁じ得なかった。

写真は、録画の中に紹介された北宋時代の画像の一例だ。人間の行動の捉え方も滑稽味のある円熟な線も、日本の絵巻から切り取られてきたものだと言っても信用してもらえるぐらいだった。講演者の説明によると、入れ墨を体いっぱいに彫った男がお金を洗っているところだとのこと。はたしてそれでよろしいだろうか。あまりにも関連の情報がなくて、しかし極めて魅力的な画像で、妙に惹きつけられる。

王亞蓉:紡織考古

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