2007年11月10日土曜日

釈迦の舎利

韓国帰りで、旅の所々で撮った写真を整理し、眺めている。その中でつぎの一枚が出てきた。とても印象的な一瞬だった。

これは、ソウルの仏教中央博物館の中に展示されている数枚の壁掛けの絵の一枚からである。組絵のテーマは釈迦の一生。そしてこの最後の一枚には「双林涅槃相」とのタイトルが付けられている。絵全体は釈迦入滅の様子をいくつかの場面に分けて描き、それを時計方向に並べている。釈迦が横たわる様子は相変わらず多くの高僧に囲まれ、荼毘に付されるところは棺のみならず、それが炎に囲まれる状況まで絵画化された。そして最後の部分に辿りついたのは、つぎの写真のところである。前後の連続など判断して、釈迦の舎利を分けて信者に持たせるところだった。

しかしながら、これが釈迦の舎利か。この場を掌る大男の、なんという強烈な顔つき。はなはだ不謹慎だが、わたしの目にはなんとも言えない粗俗で、まるで市場での安売りを連想させられてしまうような安っぽい容器や仕草を連想させられた。

学生時代、日本古典への入門は平家物語だった。「祇園精舎」と始まるあの清純な響き、漢文と和文との融合に代表される中世の教養は、無限の想像を誘ってくれる。京都で暮らしをして、本能寺近辺で沙羅双樹の葉っぱを実物で教わった時の感動は、いまなお記憶に新しい。そして、数年前には絵巻「玄奘三蔵絵」を読んで、まさにその「祇園精舎」の表現に論のきっかけを得たものだった。それだけに「祇園精舎」にはつねに特別な思いを抱いている。考古学の研究や調査の写真などによれば、祇園精舎のあった地はすでに砂漠に埋もれ、今日は辺り一面の黄砂に変わり果てた。だが、それはむしろ一層想像の中での、緑あふれる浄土を保ててくれたとさえ言える。

いうまでもなく、目を見張る大男が代表する祇園精舎の絵は、韓国における一つのイメージを伝えている。今日の、一外国人としてのわたしの目にどのように映るにせよ、それは心よりの敬虔な思いを表わしているに違いない。さきの不謹慎な連想は、あくまでも自分の未熟の恥さらいに他ならない。この姿や状況は、いわば時、時代、国や民族の違いにわたって釈迦をまつわる移り変わった光景の一つとして、記憶に納めておきたい。

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