2008年2月2日土曜日

巻物の日記

『看聞日記』の中の一点を確認すべて、図書館に入っているタイトルの一つを使ってみた。別置されていて、かつ巻数の多いことにはすこし気になっていたが、さして深く考えることもなく図書館員に頼んだら、持ち出されたのは、なんと綺麗な巻物だった。図書カタログも良く読んでいなかった分、いささか驚いた。現存する同日記をそっくりそのままの複製で、宮内省圖書寮によって1931年に出版されたものだとか。

短い閲覧は、小さな楽しい経験となった。目指す記事にたどり着くまでには、かなりの時間がかかり、記録者の筆跡を眺め、紙の使い方や筆の運び、墨具合など、活字ではまずは得られない情報が存分に飛び交った。そして、読み終わったあと、およそ披いた時の倍ぐらいの苦労を経て、ようやくもとの通りに巻物の形に巻き戻した。

現存の『看聞日記』は、その大半あるいはほとんどが筆記者により清書されたもので、かつ原文が伝わっていないことが知られている。そういう意味で単純に日記と呼ばれるにはやや複雑な経緯を持ち、したがって日記以上のなんらかの記録者の思いが裏に隠されていると言えよう。ただし、こういった理由とは関係なく、日記というものを巻物に記すというのが、室町時代の人々の常識だったようだ。

考えてみれば、日記、すなわち一日々々に記し続ける記録には、巻物はいかにも向かない。あるいは記し続けるために、巻物を戻さないで披いたままに置く、という処置が取られていたものだろう。だが、書いた記録を見直したり、調べたりする場合はどうしよう。ついつい想像してしまう。

室町時代の一流の知識人、そして「大御所」として晩年公家の頂点に君臨した伏見宮貞成にとって、巻物とは日記を記すための唯一の媒体だったのだろうか。それともあえてこれを選んだのだろうか。本人の思いを聞きたいものだ。

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