地元の日本総領事館が行った文化事業のおかげで、数本の日本映画をまとめて見ることができた。その中の一つは、四年ほどまえに制作された人形アニメーション映画「死者の書」だった。どうも知名度の低いもので、その存在さえまったく知らなかったから、予期もしなかったいくつかの愉しみを味わった。
映画の主人公は、「藤原南家の郎女」という名をもつ女性だが、話の内容としては、明らかにあの伝説の中将姫だった。中将姫をめぐり、さまざまな奇跡や霊験談が伝わり、中でもその中心的な出来事といえば、蓮糸を用いて浄土曼荼羅を織りあげるというものだった。伝説では、それが一夜のうちに出来上がった、この世のこととは思えない超自然的な奇跡だったが、映画の中では、大勢の人々の手助けを得て、しかも蓮の糸を取り出し、それを乾燥させたりしたとの工夫が語られ、曼荼羅にたどり着くまでには、主人公にはさらなる苦悩が横たわっていた。伝説をできるかぎり人々の生活の感覚に近づけ、合理的に解説しようとする、作者の感性からくるものだろう。
そこにタイトルの「死者の書」である。これは、折口信夫が三十年代の終わりに書いた小説である。タイトルがそのまま用いられたことから分かるように、アニメ映画は、あくまでも折口の小説を対象とし、それを人形による活劇に生まれ変わらせたものだった。ここで、「死者の書」とは、古代エジプトの信仰内容の一つである。すなわち、中将姫という日本の伝説を掘り起こすために、折口がこれを古代エジプトの信仰に重ね、それを通じてあらたな生命力や寓意を求めようとしたものだった。ただし、そのような古代エジプト文化への個人的な無知によるに違いないが、わたしにはこのタイトルの意味あいが最後まで伝わらなかった。「死者」とは、大津皇子に違いないが、それでも、「書」とはどこに存在し、なにを記し、そして郎女(中将姫)の信心、ひいては彼女への信仰にとってどのような役割を果たしているのか、考えなおしても判然としない。
一方では、中将姫伝説を今日に伝えてくれている古典文献の中には、一点の優れた絵巻がある。「当麻曼荼羅縁起」だ。思えば、映画の制作者たちがこの絵巻のことを知っていないはずがない。しかしながら、絵巻の影がさほど認められない。絵巻に描かれた曼荼羅を織り上げる壮大な機織り、豪華絢爛な阿弥陀仏の来迎など、あまりにも有名で、さまざまな文脈で語り継がれている。いつ眺めても心を捉えて離さないあの感動の構図を映画のスクリーンで出会えなかったのは、不思議にさえ思った。
映画「死者の書」(公式サイト)
折口信夫『死者の書』全文(青空文庫より)
2008年10月11日土曜日
人形アニメ「死者の書」
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