2009年10月10日土曜日

JSAC・2009

先週の週末、JSAC2009学会に出て、デジタルと古典画像をテーマに短い発表をしてきた。三日にわたる会議の長いスケジュールの中の、もっとも後ろの位置を与えられて、発表が始まったのは、すでに日曜日の昼ごろだった。学会の場所は隣の町にある大学だということで、交通的には他の参加者と比べてすこし有利だという判断からだろうか。それでも運転して3時間ぐらい離れたところだった。遠路の人々はほとんど帰ってしまうのではないかと見込んで、プリント資料も10枚程度しか用意しなかったが、結局予想した人数の三倍以上の方々が居残り、話し甲斐を感じた時間だった。

発表の内容は、ほぼ雑誌『文学』に書かせてもらった随筆に沿ったものだった。現状の概観、それに散発な、ところどころ愚痴とも区別を付けがたいような議論に終始するものだが、日常的に考えをし、自分ひとりのささやかな力でもなんらかの作業を試みるための、思考の記録であることには間違いない。いわば日常の生活、研究、そして仕事の中で特別に気づかなくても深く関わらざるをえなくなったデジタル環境へ目を向け、意識的に立ち止り、軽く振り返ったものだった。だが、いつかもうすこし腰をすえてこれに取り掛かり、形のある研究プロジェクトに育てたいとの気持ちはずって捨てきれずに持っていることも確かだ。

学会の場では、会場に残ってくれた方々は、誰も日本古典研究をテーマにこそしていないが、それぞれにデジタル環境と自分の学問の経験との関わりを同じように身をもって体験し、つねに考えを与えている。おかげで真摯なコメントをたくさんいただいた。外にはすでに淡い雪が降りはじめたが、発表の後の質疑応答や解散したあとの会話に、いつになく熱気を感じた。研究分野が違っていても、デジタルとはそれぞれの形で関わっているという実感をあらためて得た。

ちなみにそれより一週間ほど前に購入したビデオカメラ付きの「ナノ」を思いつきで講壇に置いて、発表を録音した。音質は予想以上に良かった。ほとんどデジタル道具だと気づかないまま、日常の生活にデジタル媒体が入り込んできた。しかもそのおかげで、道具を持たなかった時に思いついても実行しなかっただろうとのスタイルや資料を持ちえた。

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