2018年6月18日月曜日

微信の風景

週末にかけて故郷への弾丸旅行をしてきた。わずか一年ぶりではあるが、相変わらずに変化が大きい。家の近くまで地下鉄が開通され、破格としか言いようのない交通乗車料金もあって、いろいろと感慨深い。人々の日常に「微信」が浸透していると、うわさには聞いたが、身の回りのささやかな瞬間は記憶に鮮明に残る。

高速鉄道の駅内にある喫茶店に入り、静かに待ち時間を過ごしたら、迦裟に身を纏い、見るからにしかるべき風貌を持つ僧侶が迎いの席に座る。しばらくして慎重に会話を持ち出され、処世やら人相やらで一通りに話題を振りまかれる。別れ際に「微信を交換しよう」と、応じてあげたら、すかさずにそこから布施をするようにせがんでくる。一瞬の緩みも見せないところには感心するぐらいだった。数時間あと、鉄道を降りて地下鉄のチケットを購入する。数人待っている中、順番が回ってきた中年の女性は、古い札が受け付けられないと分かったら、大きな声で後ろに向かって「お金を貸してくれ、微信ではらうから。」あっけに取られて見守ると、そのすぐ後ろの人はなんの迷いもなく現金を手渡し、購入が済んだら、至極自然にアカウントを交換し、お金のやり取りを始めた。

微信は、どうやらとっくに社交のツールとの枠をはみ出し、すさまじいスピードで人々の財布から現金を取り除いてしまった。一方では、不思議なことに、外国からやってきた人はこの流れに参加することはいまはまだできない。あきらかに中国での消費を意味するものだが、外国の口座やクレジットカードは使わせてもらえない。この現状も、そのうち変わってしまうことだろう。

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