2019年5月11日土曜日

ロマンス

ここ数日、若い研究者たちの発表を聞く機会が重なった。その中の一つは、近現代における「西遊記」の研究からみる西洋の文学批評理論をめぐるものがあった。クローズアップされたキーワードは、「ロマンス」だった。

文学批評の理論、そして古典文学の翻訳などに使われたロマンスとは、この言葉の古風な意味に基づくものであり、今日において第一義に浮かんでくる恋愛などのテーマにはかならずしも直結していないことは、一通り知っている。現にいまの日本語の使い方としても、「シルクロードのロマン」から「大正ロマン」など、男女の感情に限られない用法は、それなりに頻繁に登場している。それにしても、文学理論におけるロマンスとは、はたしてどのような意味合いだろうか。ついついこのような初歩的な質問をもって教えを乞うような展開になった。戻ってきたのは、期せずしていたって明快なものだった。曰く、旅と善悪という二つの要素をそのコアにしている、とのことである。どこまでロマンスという言葉の古風な意味に合致するかは不明だが、とりあえず一つの手がかりが得たものだ。

中国の古典の英訳では、あの「三国志」のことを「Romance of the Three Kingdoms」がスタンダードになっている。しかしながら、「平家物語」のことをロマンスと捉えられることは、聞いたことがない。はたしてなにか深い理由でもあるのだろうか。(写真は小田急線ロマンスカーを熱心に撮影する人々、2018年6月30日)

0 件のコメント: