今月いっぱい、
新橋演舞場にて「わらしべ夫婦双六旅」と題する舞台劇が上演されている。大正時代を背景に取り、心温まる人情劇を、中村勘三郎、藤山直美、矢口真里をはじめ、現代の演劇界を代表する豪華なキャスト陣が熱演する。友人が親切に手配をしてくださったおかげで、素晴らしい舞台が堪能できて、ただいま観劇から戻ってきた。
前回に書いたように、同じ「双六」という言葉でも、平安と江戸とではまるきり違う対象を指していた。そして、いわゆる紙双六を意味する「双六」という用語の使用法は、明治、大正にかけて継承され、現在でもお正月の少女雑誌の特別付録などの形で双六が作成されつづけているものだから、今でも生きている言葉である。あえて言えば、多くの双六の作品は、最初からゲームとして遊ばれることをさほど意識されなかった。むしろ特定のテーマをめぐり、さまざまな情況、とりわけ良いことも悪いことも並行に、一堂に集めることを特徴として、それらをじっくり眺めることに醍醐味があると言えよう。したがって、双六とは、一つのゲームというよりも、伝統色豊かな出版文化の一ジャンルである。
一方では、中村勘三郎の舞台劇は、もちろん以上のような理屈っぽい理解にこだわることがなかった。劇の宣伝資料も、舞台一面に立体的に用いたデザインも、典型的な双六の色合いと模様である。「夫婦双六」と名乗ったのも、二組の夫婦の生き様を、幸運と悲運に押し流されての、上がったり、下がったりしたものだと捉えたからにほかならない。だが、それと同時に、ゲームとしての双六とセットになる賽(サイコロ)もストーリーの眼目となり、さらに賽からの連想で、紙双六とはまったく無縁の賭博まで繰り返し演じられた。夫婦の生活、そして人生の一生そのものを一枚の双六に見立てる、これこそこの舞台劇の発想であり、現代の人々に簡単に理解できる双六というものの象徴的な意味に違いない。
海外舶来の遊戯、出版文化のジャンル、そして教訓的な比喩。「双六」とは、まさに一つの概念が変遷する極致な実例を見せつけている。
わらしべ夫婦双六旅
2008年2月13日水曜日
双六を舞台に見る
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2008年2月10日日曜日
双六の平安と江戸
「すごろく」という言葉は、とても不思議だ。時代によって、それの指す内容がまったく違う。歴史の中で理解がこうも中身が違うものかと、言葉というよりも人々の常識の変容を表す一つの極端な例である。
平安や鎌倉時代の絵巻の中に登場した双六とは、中国から伝来された木盤のゲームである。かつては、中国でも日本でも人々が異常なほどにこれに夢中し、国家の政府が特別な法律を決めてこれを禁じたこともしばしばあったぐらいだった。絵巻の中で見られる有名なのものは、『長谷雄草紙』に描かれた長谷雄と鬼との間の一局だった。鬼に競い勝った長谷雄は、ご褒美に絶世の美女をもらったのだから、話はおもしろかった。これより古い絵巻では、『鳥獣戯画』、『病草子』など平安時代のもの、そしてこれより新しい作品では、『石山寺縁起』などに、双六の盤あるいは双六に夢中する人々の姿がさまざまな状況のもとで描かれた。
一方では、江戸時代になると、双六(現代の言葉では、誤解を避けるために「紙双六」とも)というものが大いに流行った。ひとつのゲームとしての形態も、道具の形も材料も、競技の方法もまったく異なるものである。そもそも江戸や明治時代から現代にかけて多くの人々を魅了した「双六」とは、はたして平安時代に中国から伝わったあの双六とはどのような関連をもっていたのやら、どのような経緯を通じて共通の名前を持つようになり、当時の人々の如何なる意識を反映したのやら、これらの基本的な質問には、いまなお推測もってしか答えることができない。
考えようによれば、紙双六は、ひとつのゲームよりも、ユニークな表現形態である。これに興味をお持ちの方、私の友人が主催している「双六ねっと」をぜひお訪ねください。
双六ねっと
Labels: 内と外・過去と現在
2008年2月4日月曜日
鼠の婚礼
陰暦では、今月七日になってようやく子の年に入る。中国はじめ、ベトナム、韓国など多くの東アジアの国々はいまなおこれを守り、春節を一年の中での一番の祝日としている。
子は鼠である。したがっていまの中国では鼠の話がさかんにメディアを賑わせる。その中で繰り返された語彙の一つは、「鼠咬天開」、鼠が噛んで天地が開く、とでも訳すべきだろうか。きっと鼠の小さな歯をもっての壮絶な破壊力から着想を得たに違いないが、天地開闢まで鼠のそうした力によるものだとされるとは。人間に被害をもたらすといった鼠の生態は、遠く『詩経』においてすでに詠われていたぐらいだから、人間との付き合いの永いこと、そして人間からの敬畏の目で見られてきたことが思い浮かべられる。
一方では、中国のお正月には「年画」と呼ばれる素朴な絵の飾りを付ける慣習がある。そのような晴れ晴れと
して目出度い表現媒体にも鼠が登場した。そのテーマの一つには、鼠の婚礼がある。御伽草子『鼠の草子』などを読みなれたわれわれには、まさに興味が尽きない。たとえば、今度の写真は、最近の新聞に紹介された「綿竹年画」(李方福作)の一例である。人間の格好をして行列を成して町を練り歩き、花嫁を行列の中心に囲んで、ラッパや旗などをもって人々の注目を集め、沿道の祝福を集めるといった内容は、御伽草子のそれを強く想起させてくれる。とりわけ日傘や扇子、安逸に日本的なアイテムとしてしまいがちな小物まで描かれている。一方では、御伽草子では思いもよらない着想もあった。その極致なものは、画面の一角で大きく構えた鼠の天敵の猫である。行列のメンバーを容赦なく爪に掴り、口に銜える。その様子にまで平然と視線を向けた鼠の姿は、あくまでも絵の愛嬌か。画面の上方の鼠取りに捉われた鼠も同じ悪運を辿っている。中国の民間伝説では、結婚の行列は、鼠たちに自分の家からどこか別のところに引越しをして出て行ってもらいたいという期待が託されたものだとする。猫の出現はまさにそのような希望と一致するものに違いない。
先月、カナダでは鼠の切手が発行された。そしてそのテーマはまさに鼠の婚礼であり、新郎新婦と思われる二匹の鼠は、なんと日傘と扇子をそれぞれ手にしている。いつの間にか鼠の婚礼が世界的なテーマとなって東西を走り回るようになった。
年画《老鼠娶親》里的民俗(沈泓)
東方網:世界に発行された鼠年の切手
Canada Post: The Rat Wraps up Canada Post's Lunar Stamp Series
Labels: 画面を眺める
2008年2月2日土曜日
巻物の日記
『看聞日記』の中の一点を確認すべて、図書館に入っているタイトルの一つを使ってみた。別置されていて、かつ巻数の多いことにはすこし気になっていたが、さして深く考えることもなく図書館員に頼んだら、持ち出されたのは、なんと綺麗な巻物だった。図書カタログも良く読んでいなかった分、いささか驚いた。現存する同日記をそっくりそのままの複製で、宮内省圖書寮によって1931年に出版されたものだとか。
短い閲覧は、小
さな楽しい経験となった。目指す記事にたどり着くまでには、かなりの時間がかかり、記録者の筆跡を眺め、紙の使い方や筆の運び、墨具合など、活字ではまずは得られない情報が存分に飛び交った。そして、読み終わったあと、およそ披いた時の倍ぐらいの苦労を経て、ようやくもとの通りに巻物の形に巻き戻した。
現存の『看聞日記』は、その大半あるいはほとんどが筆記者により清書されたもので、かつ原文が伝わっていないことが知られている。そういう意味で単純に日記と呼ばれるにはやや複雑な経緯を持ち、したがって日記以上のなんらかの記録者の思いが裏に隠されていると言えよう。ただし、こういった理由とは関係なく、日記というものを巻物に記すというのが、室町時代の人々の常識だったようだ。
考えてみれば、日記、すなわち一日々々に記し続ける記録には、巻物はいかにも向かない。あるいは記し続けるために、巻物を戻さないで披いたままに置く、という処置が取られていたものだろう。だが、書いた記録を見直したり、調べたりする場合はどうしよう。ついつい想像してしまう。
室町時代の一流の知識人、そして「大御所」として晩年公家の頂点に君臨した伏見宮貞成にとって、巻物とは日記を記すための唯一の媒体だったのだろうか。それともあえてこれを選んだのだろうか。本人の思いを聞きたいものだ。
Labels: 絵と巻物のからくり