2015年8月15日土曜日

淳祐の夢

「石山寺縁起」を読みなおしている。いつもは絵のほうにさきに眼が行ってしまうが、今度は逸る眼を制御して、詞書のほうをゆっくり読み進めることにした。新たに気づかされることはたくさんあった。

たとえば、夢の描写で繰り返して引用しているあの普賢院の内供淳祐の話(巻二第一段)だ。口頭発表などでこれを紹介した時、つい略約して、霊夢のおかげでそれまでの醜い顔つきからりっぱな美僧侶になったと簡単に捉えることにした。しかしながら、詞書の記述を読めば、霊験に救われたのは「面顔醜陋」に加えて、「天性愚鈍」という人間の内部まで対象となった。そしてその夢の中の様子がつぎのように描かれる。「老僧二人きたりて、左右の手をとりて、面貌端正にして智恵虚空にひとしといひて、上下すること両三度なり。」「醜陋」、「愚鈍」にはそれぞれ反対の状態である「端正」、「虚空」が用意されていた。一方では、夢の中の様子はけっして静止されたものではなく、主人公の淳祐は、正体も知らない老僧に両手を捉われるまま上下に翻弄されたのだった。絵に描かれた、淳祐を中心とした三人のきわめて不安定な構図は、このような記述に照らし合わせて、はじめてのそこに隠された激しい動きに気づくようになった。

20150815それにしても、詞書に二回にわたって出てきた「夢」という文字は、とても簡単に読めない。筆画数も筆の動きも草書体のそれと大して違うものではないが、筆画の長短配置が違うだけでこうも違うものに見えてしまうものだと、あらためて知らされる思いだった。

2015年8月8日土曜日

吉備大臣絵

「吉備大臣入唐絵巻」を読みなおしている。研究書などはさておくとして、それよりも原典のデジタル公開はどこまで進んでいるかと思い、キーボードを叩いてみた。所蔵は、アメリカのボストン美術館。キーワードを入れたらほとんど即時に絵巻全巻のきれいな画像がスクリーンに踊り出てきた。タイトル表記には、アメリカの美術館ながら日本語もはっきりと施されている。

いまさら繰り返すこともないが、単純に画像の読みやすさで言えば、デジタル画像は、出版物よりはるか上質なのだ。一方では、ボストン美術館の場合、いわゆる悪用防止のための対策なのだろうか、画像の提示は限られたスペースで行われ、画面を移動しながら細部を覗くというやや古めかしい方法を用いている。興味深いのは、画像に添えられた文字情報の内容だ。あくまでも簡単な基本情報だが、そこでなにを基本情報と捉えるかが美術館の真骨頂だ。ボストン美術館の場合、それは特定の作品の入手経路関連のものだ。この絵巻については、近世以後の伝来、とりわけ美術館に入った経緯やコレクションの所属などが、限られた文字スペースの中で細かく記述されている。作品の中身は専門の研究書に任せ、美術館の責任所在を明らかにするという立場は、かえって新鮮だ。そして、それよりも大きな文字にて使用方20150808法のボタンが配置されている。クリックすると、料金詳細こそ明記されていないが、使用するための申請方法が分かりやすく提示されている。

画像のアドレスを見れば、四巻構成の絵巻は四つのタイトルとして取り扱われ、それが通し番号になっている。隣の作品はなんなのかなと、好奇心半分に数字を入れたら、飛び出してきたのは、あの「平治物語絵巻」の炎上の画面と、「パニックしないで」との文字だった。いささか面食らった。続きの説明を読めば、「お探しのものは存在しないか、移動されている。キーワードを入れなおしなさい」とのことで、ガッテンした。なるほどただの文字での説明よりは凝っていて、美術館一流の洒落が託されている。

Minister Kibi's Adventures in China

2015年8月1日土曜日

自動変換

いわゆるくずし字の自動変換は、8年ほど前一度ちょっとした話題になった。あのころの主役は、グーグル。ただどうやら理想論に止まり、あれから以来特別になんらかの進展が報告されることはなかった。やはり商業ベースに取り掛かるほどのことはないのかと、すこぶる残念だった。そんな中、京都滞在の間には、同じ目標を目指して、新たなシステムが開発されたとのことが伝わり、周りではかなり議論された。

20150801「くずし字自動変換」システム開発成功として、NHKがゴールデンタイムで報道した。使われたサンプルの文献は、木版印刷のもの、デジタル化されたものを取り入れて、やく8割程度まで自動的に現代の文字に置き換えてくれて、実用性があるとしている。OCR技術がこれだけ成熟した今ごろの技術をもっていても、2割も認識不可を持ち続けることは、考えてみれば、ちょっぴり意外だと言えないこともない。あるいは「くずし字」という捉え方が広すぎて、真剣に時代やジャンルを限定して取りかかれば、もうすこし道筋が明らかになるのかもしれない。なお、ここに「変換」「判読」という控えめな言葉選びが深い意味を持っていると思われる。書かれた文字が現代のそれに置き換えられたからと言って、それによって記された内容まで明らかになることを意味せず、解読されるにほど遠い。よっぽどの予備知識がなければ、平仮名続きの文章に対面して、かなり頭を抱えるものだろう。そういう意味では、同じ報道に接して交わされたコメントなどは、一様に脳天気なものだった。

しかしながら、ここまで取り上げたNHKの番組だが、いくら見なおしても、肝心の開発会社の名前は、どこにも出ていない。責任者の顔と個人名があるのに、その所属はあくまでも「システムを開発した会社」となっている。さらに検索などを続けて、ようやくオンラインで公開されている東京テレビ番組録画に辿りつき、字幕で非常に小さく「凸版印刷」との名前があった。主語を持たない日本語云々の議論は繰り返されて久しい。それを地で行くような、ここまで人為的に操作された報道番組を見て、やはり不思議だと感ぜずにはいられない。

「くずし字」を最新技術で自動解読
くずし字を判読

2015年7月26日日曜日

デジタル研究

短い京都滞在のうち、土曜日はメイン行事が行われる一日だった。デジタルを共通のキーワードとする国際シンポジウムに参加し、自分も短く発表の時間をいただいた。新しいプロジェクトに向け、わずかにスタート地点に立ったばかりで、簡単な構想を述べるに止まった。だが、それよりも新鮮なテーマを扱う多数の発表を聞き、とても有意義で、大いに見識を広めることができた。

とりわけ人文学に関連して、デジタルについての研究、特定の目的にあわせた技術の開発と環境の構築には、いまだ多く語るべきものがある。一方では、そのようなデジタル技術や、すでに構築された新たなリソースを応用しての研究は、いまや確実に増え、成果をあげている。中でも、資料や活動のデジタル化、アーカイブの構築、データーベースの作成といった在来のテーマに加えて、内容が限定された特定の研究が、デジタル環境を応用してしっかりと形を成したような成果はすこしずつ現われ、今度の会議でもいくつか報告された。それぞれユニークで、目的もアプローチも明確でいて、デジタル資料の性格を有効に利用して新たなオリジナル知見が得られている。デジタル環境がなければ成し遂げられない、あるいはそもそも課題自体が生まれてこないという実例に接して、ときどき感動さえ覚えた。

発表者など若い研究者と会話して、デジタル研究は、すこしずつ世に認められるようになり、かつ明らかに求められていると実感できたと、教えてもらった。まさに時代が変わったものだ。一方では、当然ながらまだ十分には至っていない。研究活動という狭い意味で考えていても、発表から評価までのルール作り、あるいは規範の明確化の必要性が繰り返し触れられた。在来の、雑誌に印刷して発表するというあり方は、一つの参照となるだろう。あえて言えば、デジタル成果への捉え方は、技術や環境が絶えず進化し、変化するなか、未熟で未完成なものも遠慮なく公に公表することが一つの文化となっている。それ自体にはやむをえないところもあるだろうけど、意図的に完成型を意識的に作りあげ、責任をもって世に送り出すことは、ますます重要視されるようになってくることだろうと、せつに願いたい。