「すごろく」という言葉は、とても不思議だ。時代によって、それの指す内容がまったく違う。歴史の中で理解がこうも中身が違うものかと、言葉というよりも人々の常識の変容を表す一つの極端な例である。
平安や鎌倉時代の絵巻の中に登場した双六とは、中国から伝来された木盤のゲームである。かつては、中国でも日本でも人々が異常なほどにこれに夢中し、国家の政府が特別な法律を決めてこれを禁じたこともしばしばあったぐらいだった。絵巻の中で見られる有名なのものは、『長谷雄草紙』に描かれた長谷雄と鬼との間の一局だった。鬼に競い勝った長谷雄は、ご褒美に絶世の美女をもらったのだから、話はおもしろかった。これより古い絵巻では、『鳥獣戯画』、『病草子』など平安時代のもの、そしてこれより新しい作品では、『石山寺縁起』などに、双六の盤あるいは双六に夢中する人々の姿がさまざまな状況のもとで描かれた。
一方では、江戸時代になると、双六(現代の言葉では、誤解を避けるために「紙双六」とも)というものが大いに流行った。ひとつのゲームとしての形態も、道具の形も材料も、競技の方法もまったく異なるものである。そもそも江戸や明治時代から現代にかけて多くの人々を魅了した「双六」とは、はたして平安時代に中国から伝わったあの双六とはどのような関連をもっていたのやら、どのような経緯を通じて共通の名前を持つようになり、当時の人々の如何なる意識を反映したのやら、これらの基本的な質問には、いまなお推測もってしか答えることができない。
考えようによれば、紙双六は、ひとつのゲームよりも、ユニークな表現形態である。これに興味をお持ちの方、私の友人が主催している「双六ねっと」をぜひお訪ねください。
双六ねっと
2008年2月10日日曜日
双六の平安と江戸
Labels: 内と外・過去と現在
2008年2月4日月曜日
鼠の婚礼
陰暦では、今月七日になってようやく子の年に入る。中国はじめ、ベトナム、韓国など多くの東アジアの国々はいまなおこれを守り、春節を一年の中での一番の祝日としている。
子は鼠である。したがっていまの中国では鼠の話がさかんにメディアを賑わせる。その中で繰り返された語彙の一つは、「鼠咬天開」、鼠が噛んで天地が開く、とでも訳すべきだろうか。きっと鼠の小さな歯をもっての壮絶な破壊力から着想を得たに違いないが、天地開闢まで鼠のそうした力によるものだとされるとは。人間に被害をもたらすといった鼠の生態は、遠く『詩経』においてすでに詠われていたぐらいだから、人間との付き合いの永いこと、そして人間からの敬畏の目で見られてきたことが思い浮かべられる。
一方では、中国のお正月には「年画」と呼ばれる素朴な絵の飾りを付ける慣習がある。そのような晴れ晴れとして目出度い表現媒体にも鼠が登場した。そのテーマの一つには、鼠の婚礼がある。御伽草子『鼠の草子』などを読みなれたわれわれには、まさに興味が尽きない。たとえば、今度の写真は、最近の新聞に紹介された「綿竹年画」(李方福作)の一例である。人間の格好をして行列を成して町を練り歩き、花嫁を行列の中心に囲んで、ラッパや旗などをもって人々の注目を集め、沿道の祝福を集めるといった内容は、御伽草子のそれを強く想起させてくれる。とりわけ日傘や扇子、安逸に日本的なアイテムとしてしまいがちな小物まで描かれている。一方では、御伽草子では思いもよらない着想もあった。その極致なものは、画面の一角で大きく構えた鼠の天敵の猫である。行列のメンバーを容赦なく爪に掴り、口に銜える。その様子にまで平然と視線を向けた鼠の姿は、あくまでも絵の愛嬌か。画面の上方の鼠取りに捉われた鼠も同じ悪運を辿っている。中国の民間伝説では、結婚の行列は、鼠たちに自分の家からどこか別のところに引越しをして出て行ってもらいたいという期待が託されたものだとする。猫の出現はまさにそのような希望と一致するものに違いない。
先月、カナダでは鼠の切手が発行された。そしてそのテーマはまさに鼠の婚礼であり、新郎新婦と思われる二匹の鼠は、なんと日傘と扇子をそれぞれ手にしている。いつの間にか鼠の婚礼が世界的なテーマとなって東西を走り回るようになった。
年画《老鼠娶親》里的民俗(沈泓)
東方網:世界に発行された鼠年の切手
Canada Post: The Rat Wraps up Canada Post's Lunar Stamp Series
Labels: 画面を眺める
2008年2月2日土曜日
巻物の日記
『看聞日記』の中の一点を確認すべて、図書館に入っているタイトルの一つを使ってみた。別置されていて、かつ巻数の多いことにはすこし気になっていたが、さして深く考えることもなく図書館員に頼んだら、持ち出されたのは、なんと綺麗な巻物だった。図書カタログも良く読んでいなかった分、いささか驚いた。現存する同日記をそっくりそのままの複製で、宮内省圖書寮によって1931年に出版されたものだとか。
短い閲覧は、小さな楽しい経験となった。目指す記事にたどり着くまでには、かなりの時間がかかり、記録者の筆跡を眺め、紙の使い方や筆の運び、墨具合など、活字ではまずは得られない情報が存分に飛び交った。そして、読み終わったあと、およそ披いた時の倍ぐらいの苦労を経て、ようやくもとの通りに巻物の形に巻き戻した。
現存の『看聞日記』は、その大半あるいはほとんどが筆記者により清書されたもので、かつ原文が伝わっていないことが知られている。そういう意味で単純に日記と呼ばれるにはやや複雑な経緯を持ち、したがって日記以上のなんらかの記録者の思いが裏に隠されていると言えよう。ただし、こういった理由とは関係なく、日記というものを巻物に記すというのが、室町時代の人々の常識だったようだ。
考えてみれば、日記、すなわち一日々々に記し続ける記録には、巻物はいかにも向かない。あるいは記し続けるために、巻物を戻さないで披いたままに置く、という処置が取られていたものだろう。だが、書いた記録を見直したり、調べたりする場合はどうしよう。ついつい想像してしまう。
室町時代の一流の知識人、そして「大御所」として晩年公家の頂点に君臨した伏見宮貞成にとって、巻物とは日記を記すための唯一の媒体だったのだろうか。それともあえてこれを選んだのだろうか。本人の思いを聞きたいものだ。
Labels: 絵と巻物のからくり
2008年1月29日火曜日
絵のある巻物を聞く
平安末期に成立されたものを基に、南北朝時代に作り直された物語『しのびね』には、その始まりにおいて、絵巻を楽しむ様子を伝える貴重なエピソーが記されている。物語のヒーロー少将は、琴の音を聞いて心を惹かれ、夜になって、朧げながら意中の姫君を見初める。少将の目の前に展開されてきたのは、まるで神秘な様子だった。
「隅の間の方に、細き隙見つけてのぞき給へば、人々集まりて、絵にやあらん、巻物見居たり。
少し奥の方に添ひ臥したる人や、もし姫君といふ人ならんと、目をつけて見給へば、菊のうつろひたる五つばかり、白き袴ぞ見ゆる。髪のこぼれかかりたるは、まづうつくしやと、ふと見えたるに、顔はそばみたれば見えず。四十あまりなる尼君、白き衣のなえばめる着て、より臥して、絵物語見居るたり。「目のかすみて、小さき文字は見えぬこそいとあはれ。積もる年のしるしにこそ。火明かくかかげんや」といふに、小さき童よりて、ことごとしくかかげたれば、きらきらと見ゆる。
奥なる人、腕を枕にして居給へれば、「御殿篭るにや、さらば読みさしてん」といふに、少し起きあがりて、「さもあらず、よく聞き侍るを」とて、少しほほゑみたる顔の、(略)」
ここに、一つの絵巻享受の現場として、記述を読み返そう。姫君をはじめ人々を惹きつけたのは、絵の付いているに違いない巻物だった。複数の人々がそれを囲み、中で年寄りで、一番の知識の持ち主である尼君が書かれた文字を読み上げる。歳を嘆く口調で文字が良く見えないと言えば、だれかがさっそく明かりを強くした。そして、主役のはずの姫君は、控えめに奥に居たので、「もうお休みの時間でしょうか。止めましょうか」と気を使うと、「聞いているよ」と元気の良い声が戻ってくる。
物語が語ろうとしたのは、男主人公の垣間見である。そして、絵のある巻物を囲む女性の一群は、それに十分に応えられる、まるで精緻に設けられた舞台の一齣のように、少将の目の前に繰り広げられた。
いうまでもなく、絵に接することは、人、時、場によって違う。絵巻をすべてこう見なければならない理由はどこにもない。だが、だれかの声に引かれつつ、複数の人々でストーリーを共有し、耳で聞いて目で見て思いに馳せるという楽しみ方は、長らく語られ、記憶され、憧れられる情況だったと言えよう。
京都大学附属図書館創立百周年記念公開展示会図録
Labels: 絵巻を愉しむ