前回、戦場の饗宴を触れた。いうまでもなく、例の「後三年合戦絵詞」に描かれた、楯のかげに隠された庖丁捌きの場面があまりにも鮮烈に記憶に残ったからだ。思わぬことに、まさにいま、東北の地でこの後三年の歴史をテーマにした展覧会が開かれていることを新聞で読んだ。心がくすぶられ、後三年とは、その土地の人々にとってどのようなものなのか、思わずあれこれとインターネットのサイトを見てまわった。
まずは、地図に「後三年駅」が出ていることに驚いた。JR東日本奥羽本線にある、小さな無人駅のようだ。後三年の「役」のことをもちろん響かせたことだろう。義家など人名ではなくて、ずばり「後三年」を持ち出したことに、言葉のシャレを感じてやまない。
そこには「平安の風わたる公園」がある。公園には、源義家のみならず、それに同等するスタイルの清原清衡、家衡、武衡という四台の銅像が円陣を囲み、雁行の乱れとのオブジェが置かれている。さらに公園の一番の展示は、巨大な「後三年合戦絵詞」レリーフだ。絵巻の画面をここまで大きく引き伸ばして、まるで西洋の宗教絵のように人々に見せるような作りは、そんなにあるとは思えない。ありがたいことに、熱心な歴史愛好者がこれを大きな写真に収めてくれた。
そして、同じく後三年が名前となった「後三年の役・金沢資料館」を地元の横手市が運営している。そこのハイライトは、郷土の文人戎谷南山が模写した同絵巻およびその補遺だった。地元に伝わった伝説によれば、戎谷南山が絵巻を所蔵する博物館に通い、絵巻を見ては、それを記憶しておいて、便所で書き留めたとのことだった(金沢偉人伝)。カラーコピー、デジタルカメラ、インターネット、どれだけ便利な道具が世の中に出てきたものだろうか。
後三年の絵巻が作成されたのは、義家・家衡との合戦が起こって、約三百年後のことであり、そしてその画面がレリーフとなった今日になれば、合戦がすでに千年近くも前の出来事である。同じ土地だと言っても、風景が移り変わり、時が流れ、人間が何十世代も生まれ変わった。荒野を吹きわたる風でさえ、平安の面影を留めているはずがない。それを補うには、一人ひとりの想像にほかならないことだろうか。
さきの展示に出品された戎谷南山の模写には、補遺と名乗った九巻がある。現存の絵巻に存在していない、合戦の前半にかかわるものだろうか。横手市の公式サイトには補遺のかなりの部分(全部?)を掲載している。ただし詞書がなく、写真もあまりにも小さいため、いまはよく分からない。
横手市・後三年の合戦について(補遺の画面)
毎日新聞記事・地方版(2008年11月5日)
2008年11月15日土曜日
古戦場の今
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