2009年1月24日土曜日

厭勝銭

中国の暦では、十時間ほどあとにようやく丑年に入る。いま、遠く中国では、町全体が濃厚なお正月色に染められ、人々があわただしく大晦日の半一日を走り回るころである。その中国から遠く離れた北米のこの町でも、地元の新聞が一面で丑年のことや地域の華僑たちの生活をカラフルな写真付きでとりあげ、わたしも、週末にかけて数百人規模の宴会に二つも出て、何人もの懐かしい知人と語り合った。

中国の人々が抱く干支の牛のイメージと言えば、まずは「獅子奮迅」である。大きな体をして、猛然と、しかも止められそうもない力をもって前へ進む、ということに人々が思いを寄せ、めでたい祝福をその姿に託す。現代の建物の入り口や賑やかな街角などには、そのような造形の牛たちが多く目に入る。

中国の古代、それもビジュアル的なものに関心を持っていこう。そのために、さほど知られていない「厭勝銭」のことをめぐり、二三のメモを書きとめたい。

銭とは、いうまでもなく貨幣、すなわちコインのことで、中国語で古代からいまの日常生活でずっと使用しつづけている言葉である。「厭勝銭」は、「圧勝銭」「押勝銭」とも言う。ここで「厭」は「圧」「押」と同じ発音をし、人に圧迫感を感じさせるとの意味を持つと解される。「厭勝」とは、遠く漢の時代の史書にすでに記された祈祷の儀式であり、「厭勝銭」は、したがってそのような儀式のために製作されたものであり、祈祷や装飾の役目をもっていて、銭の形を模っていても、商品流通のために用いられる貨幣ではなかった。

そのような装飾のコインの中には、「生肖銭」あるいは「十二支銭」「命銭」という一群がある。古いものは、宋の時代に遡れる。その構図は、十二の干支をそれぞれ文字と画像をもって対応させることを基本とする。一枚コインに一つだけの干支を文字と絵、場合によってはそれぞれ表と裏に配置させるものもあるが、十二の干支をすべて記すのが普通である。十二の文字と絵が一面を円形に配列し、あるいは小さな円形に囲まれた絵とその外側に添えられた文字が規則的に散りばめる。その中にもちろん牛が描かれる。写真の例では、横からの視線の牛ではなく、真正面に向いた生き生きとしたポーズまで取らせている。

文字があって、絵がある。二つの媒体が規則正しく呼応する。ストーリを伝えるのではなく、装飾、あるいは祈祷という古来の伝統を伝えて、厭勝銭の絵柄は、もう一つのハーモニーを見せてくれている。

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