古典を英訳でよむという授業で、先週、『源氏物語』を取り上げた。二回の講義に続き、四十分ほど学生たちを講壇に立たせた。いまごろの若者たちの感性が見どころであり、学生たちもしっかりとその期待に応えてくれて、漫画やらゲームやらを言及し、そして一月から上映中のテレビアニメ「源氏物語千年紀Genji」を紹介した。不覚にも、このフジテレビの一大イベントにはまったく気づいていない。学生たちに教わるままに、さっそくYouTubeにアクセスして、その第一話を覗いた。
そもそも漫画をベースにして作り上げたアニメは、絵巻のビジュアル世界のありかたを無視せざるをえない、たとえ苦労を試みてもそれを再現できるはずがない。時代感覚やら美的感覚やらといった抽象的なこと云々よりも、まずはメディアが違う、表現内容の量が圧倒的に異質だからだ。したがって、絵巻的な構想をちりばめるような試みは、アニメにおいて最初から諦めたのではないかと見る。しかしながら、興味深いことに、そのようなメディア的な宿命への反動からだろうか、絵巻の存在など知っているぞとでも宣言しているかのように、絵巻をまつわる逸話がさっそく用意されたのだった。それはなんと内裏にはじめて登場した藤壺が光源氏を喜ばせようと、自分の家から持ってきたのだと言って、絵巻を源氏とともに鑑賞するという、いかにも唐突なものだった。アニメは丁寧にもそれが「鳥獣戯画」だと描く。おまけに、絵巻を三つも四つもいっぱいに開いて、相互に重ならせながら乱雑に広げたのだった。絵巻をいっぱいに広げて床に置く、このような妙な鑑賞法は、たしかどこかの戦国武士のドラマに収められたと記憶する。それを再び目撃して、思わず唖然とした。
広げられて重なる絵巻、この構図は、思えばある雑誌のグラビアで用いられたのが早い例ではなかろうか。カラー写真にて贅沢にスペースを使って絵巻の物理的な特徴を目いっぱいに紹介するという奇抜な狙いは、雑誌を見たとき強く伝わったと覚えている。しかしながら、それがここまで成長したとは、予想しなかった。その裏にはなんの理由があったのだろうか。現代の人々に絵巻というものを伝えるために、ここまでメディアの性格を無視して、乱暴に扱わないと叶えないものかと、はなはだ理解に苦しむ。
ちなみに、番組の製作者は、このような視聴を予期していたかどうか、ひいてはインターネットのおかげで、北米の地で日本語もさほど分からないような若者たちの鑑賞対象となったことを、はたして喜ぶのか、はたまた著作権が侵害されたと怒るのか、すぐには見当がつかない。ただし、アニメのビジュアル的なアプローチが若者たちの抱く古典への距離を大いに縮めたことをはっきりと記しておきたい。
朝日jp・注目アニメ紹介
2009年1月31日土曜日
光源氏と藤壺が見た絵巻
Labels: 絵巻を愉しむ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿