2009年2月7日土曜日

百器の百鬼

二年前の秋、日文研所蔵の絵巻をめぐり、『百鬼夜行絵巻』のことをこのブログに書いた(2007年10月21日)。いまになって分かったのだが、それよりわずか数ヶ月前に、同じテーマの絵巻がもう一点同コレクションに加わった。しかも、それを起点として、『百鬼夜行絵巻』全体を捉えなおす研究が行われ、その成果が最近刊行された。小松和彦教授の『百鬼夜行絵巻の謎』(集英社新書ビジュアル版)である。一気に読了した。

新書というスタイルだが、なぜか贅沢なぐらい豪華な印象を与える一冊だ。きれいな色合いを持ったカラー印刷と、世界各国の公私にわたる図書館、コレクションに所蔵された絵巻を惜しみなくふんだんに使ったことがその理由だろう。著者や出版社の情熱が伝わる。そして、なんという豊穣な世界だろうか。「百鬼」に馴染みを持たない一般の読者も、これまで数々の難問にどのようにして取り掛かろうかと彷徨う研究者も一様に惹きつけられて離れられない。出版からわずかな時間しか経っていないが、各新聞の読書欄の書評に取り上げられ、熱心な読者のブログに読書感が記されている。きっとこの出版を受けたと思われるが、先日、NHKの9時のニュースでさえ、新しい絵巻発見だと取り上げた。

絵巻研究という立場から言えば、一つのタイトルの作品を俯瞰的に眺め、その全体像を捉えようとする姿勢は、まさに待望されるものだ。これには、なぜか『平家物語』研究をめぐる、その初期の基礎研究の数々を思い出される。しかも研究対象は、近世の書写、模写まで取り入れ、それらの作品をすべて同じ土俵に登らせる。まさに絵巻研究の新たなスタンダードだ。これからの『百鬼夜行絵巻』の研究者は、まずはこの一冊を熟読しておかないと、新たな出発ができないことだろう。

ここに、この本から習ったことの一つを記しておきたい。数多い諸伝本の中に、四つに分類する基準作の一つは、兵庫県立歴史博物館所蔵本である。そのタイトルは、『百器夜行絵巻』。同じ「キ」であっても鬼ではなくて、器である。大きなヒントが隠されたような気がしてならない。そもそももろもろの器物の鬼と夜の都大路を行列する百の鬼とは、どうして繋がったのだろうか。平安時代に語り伝えられた伝説の鬼たちが、どうして器物たちによってその正体をすり替えかれたのだろうか。その間の飛躍をめぐり、いまだ明快な答えが得られていない。だが、それは意外と卑近でいて、なんの捻りもなかったのかもしれない。素朴で単純極まりない言葉遊びに由来したのではなかろうか。つまり、百と数える器たちに命を吹き込み、そのついでに、知れわたった平安のタームを拾いあげ、夜行する百鬼に託した。いかにも中世的な機敏ではなかろうか。しかも、あまりにも明白なゆえに、「百器」と名乗るのも、解説するのも、野暮で憚っていたに違いない。

日文研所蔵のこの貴重な絵巻は、すでにインターネットで公開されている。誰でも簡単にアクセス出来て、しかも並大抵の印刷物よりはるかに高い画質で鑑賞できる。一方では、普通の出版の慣習に逆行して、この素晴らしいビジュアル新書がより大きいサイズでの再版することをひそかに心待ちしたい。

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