2009年2月14日土曜日

セツ・ワ

今週の講義のテーマは、説話。『今昔物語集』から一話取り上げ、学生たちとじっくりと読む。そこで自然に「説話」という言葉から説明しなくてはならない。「せつわ」、なぜか自明でいて、議論が巻きつく文学研究の用語だ。これを機に自分を悩ませる困惑を記し留めておこう。

日本語における説話とは、名詞で、ある特定の古典作品の一群を指す。たいていの文学辞典などに記されたように、これはあくまでも学者たちによって用いられた術語で、それが使い始められたのは、わずか先世紀の初頭にまで遡ることしかできず、非常に新しい言葉である。これによって括られた作品のタイトルは、いずれも「記」「集」「伝」「抄」あるいは「物語」だったことを考えあわせると、妙になっとくする。だが、そもそも「説話」という言葉の字面の意味とは何だろうか。「ものがたり」の構造をもつ「説を話す」のか、中国語語彙の転用で「話を説く」のか、はたまた、説いたり話したりした、説と話という二つの活動の同列したものだろうか。

考えてみれば、自分にこのささいな混乱をもたらした理由の一つには、中国語におけるこの言葉の用法にあったに違いない。「説話」とは、現代中国語においていたって使用率の高いもので、あくまでも「話をする」との意味の動詞だ。それに多くの動詞が簡単に名詞に変身できるにもかかわらず、この言葉を名詞として使われる実例は、現代語においてほとんど皆無に近い。

しかしながら、中国古典の世界に目を転じれば、事情は一変する。「説話」とは、完璧な名詞であり、りっぱな文学用語だった。その実例は、宋の文献に遡れる。耐得翁の『都城紀勝』には、つぎのような有名な記述がある。「説話には四家有り。一は小说、之を銀字児と謂う。」この記述を起点として、文学史の研究者たちは、宋における「説話」の内容、とりわけそれの分類の詳細について、活発に議論を重ねてきた。もともとのこ耐得翁の記述は、「四家」と言いながらも、「小説」に並べて、「説公案」「説鉄騎児」「説経」「説参請」と、四つという数を遥か超えたリストを無造作に書き連ねたから、学者たちを大いに混乱させたということも見逃せない。言うまでもなく、ここではそのような内容の豊富さや分類の合理さなどに立ち入らなくても、「説話」という言葉の理解に十分な知識が得られる。「平話」「話本」など、書かれた文学作品との関連まで思い出せば、「説話」という言葉の指す活動には、いっそう具体的にイメージが湧いてくる。すなわち、宋の時代における「説話」は、「説」をもって共通項目とし、さまざまなジャンルやテーマのものを声高々に語るものだった。しかもそれが繰り広げられたのが、人々が賑やかに通い合う市場だった。説明するまでもなく、宋の説話とは、一種の演劇であり、芸能だった。

はたして二十世紀初頭の文学研究者たちが『今昔物語集』などの作品を指すために「説話」を選んだ時には、以上のような中国古典の用法まで思い起こしていたのだろうか。

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