なにかの課題をめぐってあれこれと考えたら、いまや手を伸ばせば届ける辞書ではなく、まずはキーを叩いて、オンラインであっちこっち見て回る。今度の一週間も、印象に残るデータベースをいくつか使った。意外と助かったという満足感、それに伴う感激。そしてなぜかすぐ感じた不思議なぐらいの疑問や期待。それのメモをここに残そう。
「JAIRO」(国立情報学研究所)。「リポジトリ」というまったく耳に慣れない言葉は、いつの間にかここまで大きな流れになってしまった。大学の紀要など、これまでど日本国内でさえどこでも簡単に調べられるわけではない、外国にいればまずは期待できない資料群を、こんなにも手軽にアクセスできるようになったとは。そらに、それほど対象資料の性格のことに拘らずに、学会での配布資料やオンラインの電子展示の解説まで掲載してくれることにも、はなはだ感心した。ただし、対象は少なくとも倍ぐらい拡大すべきだろう。ここまで実績があり、かつ資料の性格に沿ったものだから、もっと説明し、やり方をサポートすれば、もっと多くの大学などの研究機関が参加するのではなかろうか。それぞれの機関の自主にだけ任せるのではなく、まさに「マーケティング」をする意気込みを持たないと。
「国指定文化財データベース」(文化庁)。昔なら図書館の専門参考書コーナーではじめて見つけられるような手掛かりだが、いまやキーワードを入力すればすぐ確認できるようになった。膨大なデータならではの安心感が伴う。だが、政府機関が運営しているものだから、せめて国の美術館の所蔵物、あるいは寄託管理の美術品ぐらい、所在を明記すべきだろう。
その美術館へのアクセスも日に日に変わっている。公立私立とさまざまな規模の美術館、文庫などの機関は、データの整理や公開について言えば、まさにスタートラインに立ち並んだばかりだ。所蔵品のデータベースは、それこそ基本的な役目の一部をなすものだから、一日でも早く実現してほしい。中でも国レベルの機関が率先してスタンダードを作り上げるべきだ。これまですでに写真化されたものを業務形態の拡大という形で公開するのではなく、それこそ機関の性格をアピールするというぐらいの姿勢で取り掛からなければならないだろう。
あとは、性格のまったく違うアプローチをもって、新しいビジネスモデルを模索するマンモス会社の動きだ。検索でたどり着くグーグルの「書籍」やアマゾンの「なか見」、どれも特別にアナウンスするわけでもなく、あるいはそれが間に合わないぐらいすさまじいスピードで情報を作成し、なにげなく公開している。リソースのあり方が変容しつづけていて、まさに目が離せない。
以上、どれも「あればいいのに」的なグチに聞こえてしまうだろうか。もともとどこまで発達したといっても、所詮はなんらかのためのツールに過ぎない。それへの過大な期待などを持ちはじめると、こちらの問題になってしまう。さらに言えば、書籍に印刷したこれまでの辞書や参考書だって、どれも同じような注文が言えるのではなかろうか。相手が電子リソースだから、ついつい期待しすぎたのではなかろうか。
2009年5月23日土曜日
デジタル・リサーチ
Labels: マルチメディア
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