先週、一週間の仕事の最後の一時間は、月一度の職場の同僚が研究を語り合う時間だった。ロシア語担当の教授が、東ヨーロッパの言語を対象にしたフィールドワークを非常に興味深く話してくれた。その内容は、今年の五月、ブルガリアの小さな地方図書館で恵まれた中世古写本の発見であった。これまでカタログにも正しく記録されず、いっさい研究の対象とならなかったその一冊は、キリスト教の教えを記した教典だった。発表者によれば、それは十七世紀に遡り、それがもつ学術な価値とは、ブルガリア語の書写言語の起源をこれまでの通説より百年も早められたことになったとのことだった。
一つの言語の、それの書写されたものに限られたものだとはいえ、その起源を中世に求めることなど、東アジアの文明を視野にする人々の常識には、かなりのインパクトをもつものだと言わざるをえない。話を聞きながら思わずウィキペディアにアクセスしてみたが、たしかにブルガリア語の現代語の起源を十八世紀の後半だと記されている。それまでには、ギリシア語の使用が強いられていたとのことで、宗教的な要素も含めて、発達された文明に押されて、後進の文明がそれに付随するという実例がここにあったかもしれない。これを知りつつ、研究者が用いる言葉の完成を計るプロセスが興味深い。それは常用の語彙を決めておいて、そのゆれを一つのマーカーとし、言葉の変化、交流、分類の指標にしたものだった。なぜかあの平家物語諸本論の方法を思い出させてしまった。一つの文学作品ではなく、一つの言語が、わずか数百年の間にゆるやかに、かつ確実にうねりを立てて進化したことを思い描いて、なぜか少なからぬの感動ものだった。
ほぼ聴講者全員が基礎知識さえ共有できないような発表の場だったので、発表者は話の後半を教典の内容に持っていって、いわば説話集さながらの宗教教えの内容の紹介を試みた。しかもそれを分かりやすくするために、同時代の教会などに見られる地獄絵の様子を見せてくれた。こちらのほうは絵巻などにみる地獄とかなり発想を同じくしたものばかりで、東も西も地獄となれば通じ合っていたのだと、妙に気持ちがほっとした。
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