2016年10月1日土曜日

打ち言葉

一年以上前にはなるが、「EMOJI」のことが話題になり、ここで触れてみた。ここ数日なんとなく気づいたのだが、どうやら日本での日常において、これへの注目がさらに進化し、対象が「文字」から「言葉」へとますます存在を大きくし、いつの間にか「打ち言葉」という捉え方をもって語られるようになりはじめたらしい。

新種の言葉が現れたとなれば、やはり興味深い。ただ、関心をもってあれこれと実際の用例を探ってみたら、やはり絵文字、顔文字などがその核心の構成をなしている。かなり人為的に作り出されたこの概念は、話し言葉や書き言葉に相対するだけの規模、影響力、利用実態などがはたしてあるかどうかは別として、「話すこと」と「書くこと」に対峙する姿勢を持っていることだけは、はっきりした事実だ。そのほとんどの用例は、口で伝えることも難しければ、ペンなどで書こうと思ってもまず無理な相談だ。ただ一方では、現状として「打つ」という行動もかなり覚束ない。キーボートならたしかに打ったり、叩いたりはする。しかしスマホなどとなれば、入力の効率化から画面をプッシュすることに限界があり、そこからの脱出として、フリック、スワイプ、アルテなどと呼ばれる入力方法がつぎからつぎへと案出されている。そう遠くないうちに、指を滑らせて入力するのが主流になるのかもしれない。

正直に言うと、打ち言葉と呼ばれるこれらの表現には、個人的には疑いが多い。若者が実際に使っているところを目撃すれば、いつも反射的にその同年代の人にそこに書かれたもの意味が理解できるかどうか確認したくなる。完全に共有されていない「打ち言葉」は、相互理解さえ拒絶するようなものでしたら、そもそも言葉だと言えるかどうか、心もとない。

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