2018年8月18日土曜日

焚書・焼却

先週取り上げた「帝鑑図」に説かれたキーワードの一つは、今週になって不意に現実生活の中に浮かんできて、驚いた。「焚書」。あまりにも政治的、文化的な意味が含まれたこの言葉が目に飛んできたら、やはり詳細を知りたくなった。

この言葉を使ったのは、高知県立大学図書館の最近の活動を批判した記事だ。重複など不要と判断した図書などを集中的に焼却処分に付したとの図書館のやり方がかなり乱暴に映る。代表的な書籍のタイトルまで添えられている。眺めて見れば、「国書総目録」や「国史大辞典」など、自分でも知っているものもある。個人的には、学生時代買いたくて買えなかったタイトルなのだ。一方では、いまはデジタル化され、有料無料の形で利用できて、かつ絶えず充実になっているもので、いまはおそらく古本屋で格安で手に入れるとしても躊躇するだろう。重複したものを図書館が廃棄と決めても理解はできる。一方では、処分の方法としてはいささか素っ気ない。なんらかの形で無料配布も考えられるだろう。じつは先月までの日本滞在の間、大学図書館がやっていた無料配布からはけっこうの冊数を持ち帰り、中には恩師の単著まで含まれて感激した思いだった。いうまでもなくそのような配布をやるための図書館側の対応や労力は無視できない。

高知県立大の行動への冷静な分析はすでに現われた。新聞記事に用いられた過剰な語彙への苦言も含まれている。言葉の選び方はそのまま作者の立場を表わす。ただ安易に奇を競ってセンセーションに走れば、中身を伴わないでかえって躓くだろう。警戒すべきだ。

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