日本からのお土産に雑誌をもらった。例の直木賞受賞の小説『渦』が掲載される号だ。ずいぶん前から話題になっていたのに、いまだに書店に並べられるいることにむしろちょっと意外だった。どうやら受賞作品の半分程度しか収録していないが、暇を見つけて読みはじめた。今頃の小説の気苦しいところはなく、素直に楽しめた。おもえば大阪の友人、知人にたくさん恵まれたこともけっして関係ないことではなかったと言い切れる。
近松半二の名、文学史の勉強でおぼろげに覚えた程度で、ここまでいきいきと描かれて、惹きつけられた。そこでなにげなくウェブをクリックしたら、「近松半二の死」(岡本綺堂)というフィクションもあり、青空文庫に収録されている。こちらのほうは舞台劇で、上演の記録なしとのこと。山科で一図の浄瑠璃作者らしく最期を遂げたところだが、対話は標準語、それも昭和ごく初期のもので、八十年の年月が流れた言葉の変遷を思い合せて読み進めると、これは上方方言とはまた一味違う味わいがある。近松門左衛門との関連は同じく語られ、ただ受け継いだのは、机になっている。操りから歌舞伎への変換期の騒動を後ろに感じ取り、やはりわくわくさせるところがある。
「外題」という言葉が岡本作で取り上げられた。江戸なら「名題」だと辞書が解説する。作者と大夫との内輪の会話では、演目のことをあくまでも内容を表わすキーワードを用い、プロモーションの一環として、はじめて演目に外題が付けられるとのことだ。それはさておくとして、浄瑠璃や歌舞伎の演目のあの特殊な読み方にはいつも不思議なものを感じ、振り仮名をみてなるほどと膝を打つことが多い。そういえば、『渦』へのローマ字での読み、これもわざとこの言葉の伝統に一石を投じようとしたのだろうか。
2019年10月12日土曜日
渦・UZU
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