右は、『改正頭書つれつれ艸繪抄』(国文学研究資料館蔵)からの一部である。底本は新日本古典籍総合データベースで公開され、このページ(上巻四十一オ)は簡単に確認できる。赤線で囲まれた二つは、ともに「こそ」と読めるが、眺めるほどに、くずし字の字形に気づかされることが多い。
くずし字の基本は、やはり仮名である。とりわけ木版の書籍になると、仮名の形が大きく定まる。仮名の数はそもそも限られ、それぞれ複数の字体が用いられるにしても、常用なのはせいぜい150に満たない程度だ。しかもその半分以上は今日使っているものと変わらず、覚えるにはさほどたいへんな作業でもないように思われる。一方では、ここに見る「こそ」の事例のように、いささか面倒なケースもある。詳しく言えば、「こ」の字体は、二画目が下へ伸びる縦線となり、「こそ」「こと」「ころ」などの語彙に伴う傾向がある。「そ」は、終わりの画が左に撥ねる字形と右に撥ねる字形と両方あるが、ここではわざと両者が並ぶ格好となる。さらに直前に「ぼうし(法師)」の「う」が見え、「う」と「そ」の差異は、一画目のわずかな撥ね方にすぎず、形のうえで区別するのが難しい。ここに見る字形の揺れは、文字としての規範と表現としての達筆さの間の距離から由来していると考えてよかろう。文字は、そもそも読みやすい、読者に無用の負担を掛けないことが基本だろうが、それを美しく、勢い良く書くという意識も働く。江戸時代の読書人の感覚は、十分に図りきれない。それはさておくとして、くずし字を覚えるにはどうしても形から入るのだが、ここに見られるような美意識の存在、それの働きかけは、忘れてはならない。
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