2008年9月20日土曜日

台所をお目に掛けよう

北米のケーブルテレビには、特定のテーマをもつチャンネルが多い。同じ内容のものだけ提供するということが前提なので、一つの番組を数日にわたり、ひいては一日に数回も繰り返し放送するのが、一つのスタイルになっている。そのため、チャンネルを回したら、「Iron Chef America」が頻繁に目に飛んでくる。

これは、いうまでもなく例の「料理の鉄人」のアメリカバージョンだ。本家の番組はすでに存在しなくなった現在、一つの日本のテレビ番組をここまで真剣に、しかも情熱を込めて作り続けること自体、不思議でならない。内容も構成も、人為的な作為が強く感じさせるタイトルのつけ方も、そっくりそのまま本家のものを引き継いだだけではなく、カメラアングル、画面切り替えのリズム、盛り上げの仕掛けなど、どれも「日本風」のものだと感じさせて、それこそちょっとした魅力的な風景だ。

台所をお見せする。料理を作るということを隠すのではなく、それどころか、台所を一大ショーのステージに早変わりさせてしまう。このようなテレビ番組制作の着想は、わたしには、いかにも日本的なものに思えてならない。身近な生活からその根拠を確かめるならば、一つ、鮨屋のことを思い浮かべれば十分だろう。「スシ・バー」という、こっけいなぐらいの英語の言葉にさえなったこの表現に集約されていると言って過言ではなかろう。食事を用意するということは、もてなしの一部であっても、美食のじゃまにはぜったいにならないという考えがそこにあるものだ。

忘れてならないのは、同じ考え方を持たない文化もあることだ。その筆頭に中国のことが挙げられよう。中国語には広く知られている古典のフレーズがある。「君子遠庖厨」という表現で、君子と呼ばれるにふさわしい者は、台所を遠いところに置くものだ、と意味する。『孟子』にあった文章だが、それが驚くほど長く親しまれ、守られてきた。いまでも、親しい親友はさておき、大事にもてなしをしようと思うお客様をわざわざ台所に入れることはなく、むしろ丁寧に作り上げた料理を、視線の届かない台所から心をこめて食卓に運んでくることこそ、美食にふさわしい風景だと、中国では考えている。

絵巻に描かれた一つの饗宴、それも、戦場に繰り広げられた台所風景をとりあげて、短い文章に認め、それを載せた雑誌が今週発行された。興味のある方は、どうぞご一読ください。

国文学解釈と鑑賞別冊・文学に描かれた日本の「食」のすがた

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