この週末、親しい友人の一人娘の結婚式があった。こんな年齢になっていながら、不思議なぐらい結婚式には出席しておらず、自分一人だけではなく、家族全員の大事な行事として参加してきた。
どの国も民族も、結婚となればしっかりした伝統がある。一方では、家族を持つ人は全員一度は通過する人生の儀礼なだけに、その取り組み方、進行の工夫、演出の仕方は、言葉通りに千差万別で、たとえ同じ文化の中でも、実際的に比較することは難しい。それにしても、あえてそのような異なる実践を横に並べて考えてみれば、やはり興味深い大きな違いがある。ごく簡単に捉えてみれば、親や家族が中心で、主催も運営も結果も両方の親の立場に直結するのは中国、儀式の上で親の存在を大切なものとし、親への注目を大きな眼目とするのは日本、とすれば、西洋の、というか、いまごろのアメリカ的なやり方は、あくまでも新郎新婦の二人の行事だ。親の存在は極端なほど目立たないところに置かれ、スピーチの一つ、ダンスフロアでの短い時間の拍手喝采ぐらい以外、参加者の注目は、いつでも美しいカップルに注がれる。視覚的にも、若もの中心の、揃いの服装を身に纏ったグループごとの動きは、東洋風の家族に見守られる子供というイメージとの距離を極端に現している。
週末に式をあげたカップルは、それぞれ中国系とカンボジア系の二つの家族からの出身である。そのため、数週間前には、カンボジアの伝統に則る式がすでに行われ、それに続いて、金曜には中国風の式が設けられ、そのうえ土曜には西洋風の式が行われた。違う伝統の共存をもって、その間の融和が図られたという、とても美しい構図がユニークな形で姿を見せている。
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