2018年11月3日土曜日

文字の異議・その二

数えてみれば、すでに十年もまえのことになる。立教大学所蔵の「福富草子絵巻」を電子利用させていただき、音読を加える動画を作成した。それを報告するにあたり、ついに解けなかった難問の一つを告白し、「少数でやや極端だが、文字を絵のように描いたのではないかと疑わせるような書き方(描き方)があった」との観察を書き留めておいた。(「文字の異議」)

そこで、国会図書館でデジタル公開している「福富草紙」を披いて、一つの小さな手がかりを見つけた。代表的な二例を右に掲げてみる。放屁の芸を披露する第七段からの二行である。明らかに後の手入れによる赤の記入文は興味深い。左にみる「は」「よ」は、まさに上記の疑問を完全に共有し、それに対して施したものである。正しい文字を理解できないまま形で模写し、その結果意味が通じなくなったものを、赤で訂正したものだと読み取れる。赤の訂正が存在しない立教本の読み方を提示提示されたと考えたい。しかしながら、右の例を見れば、そう簡単に結論できないと気づかされる。「行どあげり」(立教本は「あげらるゝ」)に対して、「風にふきあげらるゝ」と書き入れられた。この訂正は、代表的な底本である春浦院本などの原文を反映し、文字の書き方ではなく文章の校合を施されたことになる。すなわち文章の意味が読み取れないような立教本や国会本は、なんらかの共通した祖本を持ち、その全容や由来をいまだ解明できないと考えるべきだろう。

国会本には成立をめぐる記述が添えてある。それによれば、寛政元年(1789)に狩野洞白(当時18歳)が模写したものを、文政元年(1818)に緱山正禎(当時29歳)がさらに模写したものである。ただし、赤の文字についての記入主は不明だ。

国会図書館蔵「福富草紙

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