2019年2月9日土曜日

レボがない

はじめて開講する古文の授業は、すでに四週終えたところだ。全体の構成を文法事項を順次解説することを骨組みに組み立て、それに沿って、オリジナル古典の名文を紹介し、週に一篇、150字程度の文章を取り出していっしょに読む、というやりかたを取っている。

日本語学習者にとっての古文勉強は、古典への見識もさることながら、現代語への見直しが重要だと考えている。はたしてそのような狙いが形になってきている。先週の会話から興味深い実例があった。授業のあと、ある熱心な学生は丁寧に記したメモを見ながら質問してきた。曰く、クラスで提示した動詞活用に関連するスライドに、活用形の「レボがないため、詳細を確認したい」。タグのつもりでレボ(lable)を選んだのだろう。振り返ってみれば、動詞活用の全体像を説明したあと、具体的な活用形について、未然、連用のような用語を避けようと、あえて「ず、て、こと、ば」といったような形で言葉の実例を掲げることにした。専門用語からの負担を減らそうと工夫したつもりだが、論理的にアプローチをしようとする大学生にはかえって不安を与える結果になってしまった。いうまでもなく反省し、付け加えることにしたい。

いまの授業計画としては、一学期の十二週間のうち、十週程度までは文法事項を中心に進める予定だ。加えて週一回の小テストを設けて内容を確認する。ただ、文法中心の発想ははたして最善なのか、いまのような学生に一番ためになるものはなにか、つねに自問自答をしている。

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