2019年2月23日土曜日

平等院参詣図

火曜の午後、短い関西への旅から戻ってきた。あわせて四泊六日の、相変わらずの詰まった日程だった。それでも、あるいはそれだから余計に積極的に動き回った。中でも、かねてから思いに掛けてきた平等院を訪ねた。学生時代以来、かなり久しぶりの再訪だった。五年ほど前に修復が終わり、本堂の色が一新されたとの噂を聞いたから、その変化ぶりもぜひこの目で見たかった。

ミュージアム鳳翔館と名乗る宝物殿は、出来てすでに二十年近く経っているらしい。国宝・雲中供養菩薩像の展示ホール、実物大の本堂の扉など、さすがに圧倒される。時に冬期企画展が開催されている。展示の中では、「平等院参詣図」(江戸時代前期)はとりわけ印象深い。参詣の対象となる平等院、そしてそれに投げかけられた普通の人々の姿などは、じっと眺めていて興味が尽きない。普段はどうやら拝観者を本堂に入れないらしく、神社の拝殿に向えるのと同じく、熱心な男は扉の格子に顔をいっぱいくっつけたまま中を覗く。建物全体を見れば、特徴となる渡り橋が見当たらないことには驚いた。ただ、その目で見れば、そもそも宇治川が本堂のすぐ後に迫ってきているのだから、絵画的な表現を考慮に入れて見るべきだとはっと思い返させられた。

しかしながら、本堂の象徴となる屋根の上の鳳凰は、それぞれ違う方向に頭を向かわせている。江戸時代以後、鳳凰の向きを調整したとはとても考えられない。ならば、そこまで現実を無視して描いた参詣図の意図とは、どのようなところに託されたのだろうか。課題の一つとしたい。

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