漫画『あさきゆめみし』の全巻セットを友人が「はまるよ」とコメントを添えながら貸してくれた。ずいぶんと話題になったどころではなく、厳然と一つのジャンルを切り開いた観をもつもので、ずっと関心があった。やはり予定よりはやくページを開いた。
いまだ最初の数章しか読んでいない。最初の印象としては、すこし肩透かしを食ったというものだ。あれだけ熟知されている古典だから、正攻法でも、あるいはなんらかのヒントを持ってでも、大切なエピソードはきっと丁寧に表現しているだろうと想像していた。だが、けっこう略されていた。一方では他の帖から有名なものを持ってきて物語をよりテンポ良く展開させたところも多い。やはりクラスで学生たちとともに読んで語り合ったなどの経験も含めて、つい現代的な表現になると、批判的な目を向けてしまうという、こちらの姿勢も反省している。結論からいうと、リズムに乗るまでには、もうすこし時間がかかりそうだ。
それよりも、タイトルは、最初に聞いたときから気になっている。この「イロハ歌」からの文言とイメージの中の源氏とはなかなか繋がらなかった。そもそも「見じ(見ない)」なのか、「見し(見た)」なのか、あるいはわざわざ両方を掛けたのか、唐突には推測したくない。なにげなくクリックしているうちに、かつて机を並べてともに勉強していた先輩が正面からこれを取り上げたのを見て、読み入った。「見し」だって、歴とした根拠を持つものなのだ。記憶に止めておきたい。
「あさきゆめみし」の言語学
2019年9月21日土曜日
あさきゆめみし
Labels: 内と外・過去と現在
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