絵巻には、凄惨で残虐な画面はあまた存在する。その多くは、決してリアルに状況の詳細を精緻に描くのではなく、物語の発想に勝負を任せ、ときには素朴で微笑ましく、その分逆に恐ろしい。
鬼退治の代表作「酒呑童子絵巻」の一こまはよく覚えられる。長い道のりの苦難を一つまたひとつと乗り越えて、ようやく鬼との対面が叶った。そこで、普通の人間ではない、鬼と対等に渡り合う度胸を持っていることを示すものとして、童子が設ける饗宴に頼光ら六人が堂々と顔を出した。しかしながら、出された料理とは、なんと女性の足。物語が伝えたところでは、「女房の股、ただ今切ったると思しきをまな板に押し載せて持ち出たり。」これには、頼光がすこしも怖じず、おいしそうに切り取りながら口に運んだ。酒宴、料理、食事に堪能、言ってみれば饗宴にふさわしい要素をすべて取りそろえた画面において、まな板に載せられた料理の中身一つでそれらのすべてが崩れ、目も当てられないような構図に化けた。(写真は日文研蔵「酒天童子繪巻」中巻第六段より)
あえて付け加えるが、昔の読者が全員このような描写に夢中になったわけではない。それを証するには、同じ絵巻の系統をもつ特異な模写の一点(オックスフォード大学蔵)がある。それにおいて、まな板の上にあったのは、赤鯛だった。この模写には絵のみで文章が付いておらず、物語はどうなっていたのやら、ちょっと想像しがたい。
「オックスフォード大学ボドリアン図書館附属日本研究図書館所蔵『酒呑童子』について」
2019年9月7日土曜日
鬼が里の饗宴
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