すでに四、五年も前のことになるだろうか、友人の一人は音声によるテキスト入力のことを熱心に説明し、それを実際に使いこなして驚異的に多数の成果を発表した。それに習い、数回試してはみたが、いずれも途中で挫折した。そこへ、ここ数日何気なくそれを再開し、改めて気づいたことがいくつかあった。
音声にはすぐに頼れなかったのは、やはり文章をゼロから書き上げるところにあった。たとえ小さな文章でも、表現の内容や切り口などを思い巡らし、考えを並べ直すという作業は、声としてそのまま口から出すことには、それなりのコツが要る感じで、馴染めなかった。だが、ここ数日、時間を割いて取り組んだプロジェクトの一つには翻訳があった。翻訳となると、言葉の吟味のみで、いわば内容にまで立ち入る必要がさほどなくて、音声ではかえって楽だった。夢中に言葉を探し求めている間、じっと声の空白を残していても、入力システムは根気よく待ってくれる。そして何よりも小気味よいほどの正確な変換結果だ。感心せざるを得ない。声で作った文章には、編集の手入れがより多く必要とするが、それが仕事の流れを見直す良い機会にまでなった。おかげで机の一角には存在感のあるマイクが加わった。文章を組み立てるプロセスにおいて目を使わず、指を休めることができて、妙な経験だ。音楽を流しながら読んだり書いたりする習慣がない分、静かな仕事台の周りに声というものが新たに現われ、新しいメディアが仲間入りしたという感じだった。これも一つの進化だと捉えてよかろう。
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