新刊『源氏物語と長恨歌』を著者からいただいた。郵送にはじつに三か月半もかかり、これまでにはなかったことである。ずっしりと重い一冊がようやく無事に届き、さっそく開き、読み耽った。
物語の頂点をなす『源氏物語』。これに対して、著者一流の鮮やかなアプローチがいたるところに施され、読ませてくれる力作である。随所にメモを取りたくなる豊富な資料、共感を呼ぶ丁寧な読解、明晰にして説得力ある真摯な解説、教わることは多かった。物語の出典論から始まり、それが物語が古典となる由縁を解き、物語論全般に及ぶ。奥深平安文学の真髄を覗きみることを手引きしてくれた。著者が語ったところの、はっとさせられる記述をいくつか掲げておきたい。「平安朝において、『長恨歌』は物語であった。絵が添えられ、和歌が読み加えられ、様々の解釈が与えられ、語られた。」(34頁)「『源氏物語』の『長恨歌』への愛着とは、その深層においては、羽衣説話への愛着であった。」(148頁)「男の物語から、女の物語へ。それは、人類文学史上の、一大転回であった。」(261頁)「『源氏物語』が「ロマンティック」ではないとは言わない。しかし、『源氏物語』は、それらを越えて、「現実の生身の人間そのもの」を描くことを志したのである。」(284頁)そして、「「夢の浮橋」の途絶えとともに、『源氏物語』も、途絶えて終わる。」(331頁)
個人的な思い出を一つ添えておこう。触れられた和歌には、「碧落不見」(『道済集』)と題する一首があった。いうまでもなく、あの「上窮碧落下黄泉、两処茫皆不見」を対象としたものだ。遠い学生時代、この一句を筆で書き出し、二段ベッドの壁というわずかな自分一人の空間に飾った。それがなぜか父の目に入り、止めるべきだと言われた。その理由は、その場で聞かなくて、いまだ分からないでいる。ただあの瞬間だけは鮮明に記憶に残っている。
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