2021年5月29日土曜日

カナダグース

暖かくて長閑な午後。近所の水辺を歩いたら、子連れのカナダグースに出会った。さっそくスマホを持ち出してカメラを向け、ゆっくりと接近しながら動画を撮った。家に戻って確認してみたら、その場では気づかなかった親グースの愛らしい動きが収まり、自分ながらも意外に思った。

さっそくインスタとWeChatにこれを載せた。グースの行動の意味は分からなかった。自分なりに推測すれば、あるいはこちらの動きを見つめるものではないかと思った。人間でも、ときには目の位置を調整しながら目標を確かめることがあるからだ。ところで、この推測へのコメントは楽しかった。虫を食べているのではないか、子鳥に声をかけるのではないか、加えて「曲頸向天歌」との名詩を引き合いにして唄っているとの見解まであった。しかしながら、正答はさっそく現われた。頸を上下するこの動きは、グースが攻撃する前触れであり、敵対するものへの脅かしのしぐさなのだ。思えばそっと歩いて近づいたのはよかった。急いで接近したら思わぬアタックに遭ったかもしれない。あれだけの体や、遠く飛ぶ習性からすれば、甘く見ては思わぬ痛手に遭うことだろう。

鳥たちの歌やダンス、あくまでも人間主体の観察や思い込みにすぎない。この簡単で素朴なこれを改めて知らされるひと時だった。

2021年5月22日土曜日

ビデオプレゼン三作

北米日本研究資料調整協議会(The North American Coordinating Council on Japanese Library Resources)は、「分かりやすいデジタル化と発見・ビデオシリーズ(Comprehensive Digitization and Discoverability Program: CDDP Video Series)を企画した。お誘いを受けたのは、三か月ほどまえのことだった。これまでの小さな特設サイトなどを紹介する絶好の機会であり、たいへん名誉あるもので、迷わずに制作に取り掛かった。ビデオシリーズは予定通りに完成し、今週公開された。

シリーズのラインナップは、まさに錚々たるものだった。関心のある方はぜひご覧ください。個人的な関わりを記しておくとすれば、一つのプレゼンは十五分程度というのが最初の枠組みだった。そこで、実施委員会との話し合いの中、取り扱うテーマを述べると、それぞれを独立させたほうがより伝わるのではないかと提案され、その通りにした。奈良絵本『からいと』、黄表紙『敵討義女英』、変体仮名の連綿という三つの内容に絞り、それぞれオンライン公開のデジタルリソース、音声、動画というデジタル技術利用の異なる側面に実例をもってスポットライトを当てることとした。一方では、現在公開の十一点のビデオのうち三点も占めるというバランスのよくない結果となった。

ビデオの制作は、今度もAdobe Premiereを利用した。まず解説の音声を録音し、それにあわせて関連の画像やスクリーンショットなどを配置するという方法を取った。あえて言えば、新しく試みたのは、ビデオ撮影やパソコンの画面記録などの小動画を意図的に挿入することぐらいだった。個人的にはよい経験だった。

Comprehensive Digitization and Discoverability Program: CDDP Video Series

2021年5月15日土曜日

発表記録

去年の秋に開催したJSAC(Japan Studies Association of Canada、カナダ日本研究学会)年次大会での発表記録が、同学会の公式サイトで公開された。わたしの発表もその中の一篇に収められた。「A Manga-translation of Visual Commentary on Tsurezuregusa(画像注釈『徒然草』の漫画訳をめぐって)」

思えば、学術活動の形において、日本と北米とではいろいろな違いがある。その一つとして、研究集会成果の伝え方があげられる。自分が身を置く日本古典の研究分野においてのことしか体験していないが、日本では、年次大会の内容が記録されるといっても、学会組織の機関誌において、招待発表者の発言を活字にするのが精一杯のようだ。これに対して、北米では「proceedings」が主流となり、ほぼ口頭発表と平行にそれの刊行が企画される。そのほとんどは発表者全員の、すくなくとも執筆要望のある発表者の原稿を収め、年次活動の記録として時の流れや研究の進展を刻む。

去年の秋に完成が近づいた『徒然草』注釈画の四コマ漫画は、今年に入ってさらに朗読、動画、字幕、現代語訳、そして中国語紹介などと、いくつかの要素を加えてプロジェクトを広げた。これまたいつか報告すべきテーマになる。

Conference Proceedings: Selected Papers

2021年5月8日土曜日

言わザル

江戸時代の『徒然草』注釈、とりわけ絵による注釈の基礎を作り上げ、一つの大きな達成を見せた松永貞徳の『なぐさみ草』(1652年)は、絵の構成、構図においてところどころに思い切ったものを示した。ここに、その一例として第七十九段を眺めてみよう。

この段は、『徒然草』にくりかえし現れるテーマの一つ、兼好の、批判者としての説教と先達として伝授である。説かれたのは、都会人の教養やその身なり、振る舞い。いわくなんでも知った顔をするのは「片田舎」の者、どんなことについても、ぺらぺらとしゃべらないで、「問はぬ限は言はぬこそいみじけれ」、といった内容である。これを注釈する画像として、田舎者や都会者、身振り手振りを交えた会話の様子など、いくらでも構想できるところ、『なぐさみ草』がもってきたのは、なんとあの三つの猿だった。しかも、述べられているのは言うか言わないかという明白な行動なので、「言わ猿」にスポットを当てても良さそうなのに、三猿をあくまでも平等に描いた。驚くほかはない。

思えば、この一枚の構想は、兼好の説教が当時の読者ならだれでも熟知しているはずのあの三猿の教えと同質なものだとの認識から出発したのだろう。身近な価値判断をもって『徒然草』を読み、それが述べたところを噛み砕いて伝える。しかも三猿はすでにつねに一セットになっているからこそ、原典の言説にいちいち拘らない。考えようによれば、一つの注釈のありかたとして、最高の境地に達したとさえ言えよう。

朗読動画『徒然草』第七十九段