新聞紙一紙をほぼ毎日アイポッドで読んでいる。今日のそれには書評が載り、そのタイトルの一つは、「言葉による鮮烈な絵巻物」。まったく関係ないが、今日は、まさに言葉と向き合い、さまざまな言葉を楽しんだ一日だった。
週末に入る今日は、勤務大学を会場に、学生たちによる所在地区の日本語弁論大会が開かれた。今年は20回と数えるこの年度行事において、今年は30名近い学生が五つの大学から集まってきて、中には、七時間におよぶ夜行バスに乗っての遠路参加者までいた。学生たちは勉強歴などに合わせて四つのレベルに分かれてスピーチを競った。スピーチのテーマは自由、発表時間以外はほとんどなんの制限もない。独自の発想をもとに自由に織り成す言葉だけでのコンテストだった。語られた内容は、それこそ夢、専攻、友人など学生らしいものから、家族、生まれや育ち、病気や悩みといった個人的な体験、ひいてはストーリ、小噺、法律の判例と話題が広い。幼稚にしてたどたどしい日本語の向こうには、たしかに豊かな若者たちのまぶしいぐらいの世界があった。
このような行事となれば、どんなに工夫をしても、受賞が叶えられるのはわずかな人数に留まる。長い間、苦労に苦労を重ねた学生たちの多くが、けっきょくは手ぶらで行事会場を後にするのを目にして、組織者としてはどこか心苦しい。でも、学生たちは、実にりっぱに対応している。受賞など結果如何と関係なく、若者たちには習うものがあったんだと、なぜか感じられて、胸をなでおろす思いでいた。
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