2021年3月6日土曜日

古典朗読

古典の名作に朗読された音声を通して接する、とりわけデジタル環境の発展にともない、これが多くの関心をあつめている。そこで、コンテンツ制作になれば、プロの人に読ませたいということがまるで当然のように期待され、待たれる。

著作権などの周辺要素と考え合わせれば、たしかにかなりの内容が積み重ねられていてもおかしくない。このような狙いをもって探したら、わくわくさせてくれるものはたしかにあった。無料で手軽にアクセスできるものとしては、まずつぎの二つがあげられよう。一つは「10min. ボックス 古文・漢文」、もう一つはNHKの「古典講読」。前者は十九の作品の抜粋をいずれも10分という枠に閉じ込め、後者は専門家による古典解説のラジオ番組で、そのハイライトとして段落の朗読をふんだんに取り入れ、取り上げた作品も王朝日記、説話や随筆、御伽草子、はてはコロナをキーワード持ち出したものさえあった。公開もととして、前者はNHK放送局による特設ページ、後者はYouTubeのチャンネルの形を取るが、2014年公開とあって、公開者の明記が見当たらない。チャンネル画像などからは放送局の公式サイトとは思えず、熱心な視聴者がラジオ放送などから録音して公開したのだろうか。

聞き心地の良い朗読を無心に楽しみながら、つい「プロ」ということの意味を改めて思い返した。アナウンサということで、音声のプロと言えばその通りだ。ただそれがはたして古典のプロを意味するだろうか。古典の声というものを追及しようとすれば、いまや能や狂言の節回しや言い方に遡るのが精一杯だろう。それに頼って古典を朗読すべきだとも思わない。多様多彩な古典の名作は、あるいはさまざまな声によって読まれるべきかもしれない。音声のプロもさることながら、古典の愛好者、学習者、極端な場合だとたどたどしい子供の声まで、読まれたのを聞きたい。あえていえば、個人的にささやかな朗読を続けてきた理由の一端もここにある。

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