「カナダ日本研究会年次大会」は、予定通りに開催され、今日で二日分の日程を終えた。わたしの発表も今日の午前に無事に行った。与えられた時間は、わずかニ十分。パネリストはみんな時間厳守で、質疑応答の部も熱気あふれるものだった。議論しきれなかったテーマは、ZOOMのチャットで全員、個人の形で続けられ、時を前後して関連のメールが四通も入ってきた。個人的にはいろいろと収穫の多いひと時だった。
今年取り上げたのは、『徒然草』絵注釈にみる思考や概念。これにたどり着いた直接のきっかけの一つは、第172段に対する『つれづれ草絵抄』の絵だった。「若き時は、血気うちにあまり、心、物にうごきて、情欲おほし」で始まるあの一段である。突然のように飛び出してきた「血気」、「情欲」などの文言に刺激されたからだろうか、「絵抄」の注釈は、なんとあの盛遠の話を取り出したのだった。右は、その絵の一部。二画面構成のこの段の絵は、さらに袈裟御前の夫、そして滝の下に立つ文覚と続く。江戸における文覚の話の享受について、すでにここで二回ほど触れた。(「袈裟御前から小春へ」、「盛遠物語」)同じ話に再び絵絵注釈で出会うのは、一つの読書経験としても、非常に意外なものだった。そして「絵抄」、進んで絵注釈全般の性格を考えることに繋がった。年次大会のさらなる詳細、研究発表のタイトルや要旨などは、下記の特設サイトで公開されている。さらに『徒然草』172段の朗読動画、関連のデジタル画像などの情報は、「朗読動画『徒然草』第百七十二段」からアクセスしてください。
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