昨日、四冊の研究書が届いた。いずれも自分の研究分野と違うもので、分かる自信がないまま手に取り、ページを開いた。これだけの発見や思索を凝縮した書物、一通り目を通すことさえ気力の要るものだ。
最初の一冊は、音がテーマだ。かつて「声」関連の論考を集中的に読み漁った時期があり、ずっと関心を持っていた。編者は細川周平氏、『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング、2021年)。じつに600頁以上の大著で、10部構成となっている。音というテーマには、こうも多様なアプローチがなされたものだと、目録を眺めて、気づかされることばかりだった。「戦前時昭和の音響メディア」、「音が作る共同体」、「ステレオの時代」、「物語世界論への挑戦」、などなど。「音響テクノロジーの考古学」では、音を記録する装置の発明、利用や普及の流れから、科学技術の発明、とりわけその失敗や進歩を振り返り、広い意味での人間の知恵を認識させた。「デジタル・ミュージッキング」に収めた一篇は、ライブ・コーディングという、プログラミングをパフォーマンスとする実践が紹介され、プログラミングをするアーティストと、コードを対象とするオーディエンスの存在は、まったく知らない世界だった。さきの文脈でいうと、新たな技術とは、存続するかどうかだけをもってその成敗を図り切れないことを一つの具体的な側面を通じて示された。すでに十年も前のことだが、編者には一度自宅にまで招待された。しかもその翌日、その颯爽とした姿を祇園の山鉾をひっぱる行列の中に探し出し、盛んに鳴り続く祇園囃子の音とともに深く記憶に残ったのだった。(「祇園祭を観る」)
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