2021年10月23日土曜日

Notion

簡単なメモをパソコン、スマホ、タブレットといった身の回りの数々のデバイスで取ったり、利用したりすることは、いまや基本的な作業だ。この需要のために、これまでいくつかのアプリ/サービスを利用してきた。じっくり使ってみないとすぐには答えが出てこない、というのがこの手の選択の難しいところである。大まかに並べれば、つぎのようなことが言えよう。「Google Keep」はデザインがこまめで、ちょっと落ち着かない。「Clipto」は、内容追加などになると期待通りにはレイアウトが動かない。「FiiNote」は頻繁にログインを要求し、日本語の入力には対応しきれない。中国にいる友人との交流のための「腾讯文档」は、距離相応のもたつきが感じられる。似たようなアプリなどはかなりの数が出回っているので、このリストはさらに長くなる。

そんなところで、今週使いはじめたのは、「Notion」。YouTubeなどで多数公開されている解説ビデオに惹かれて導入した。ほとんど熱心なユーザによるものだが、「第二の頭脳」などの謳い文句が踊り、単純なノート取りのアプリ/サービスではなさそうな雰囲気さえ感じ取れる。まだ数日しか経っていないが、いまのところ、使い心地は悪くない。まずはデバイス間の利用は安定している。ページの形やレイアウトのカスタマイズには自由度が高く、個々のページの分類や保存も分かりやすくて利用しやすい。一方では、データベースの構築、グループの共同作業など、サービスが主力を入れた機能は、いまのところまだ体験していない。

「Notion」という言葉は、「意向」、「意志」、そして「ばかげた考え」などの意味を持ち合わせる。これを持ってきてサービスの名前とするところには、なんとなくスケールが大きくて感じが良い。

Notion

2021年10月16日土曜日

朗読動画特設サイト

『徒然草』の原文を読み上げ、それに江戸時代の注釈絵やくずし字によるテキストをあわせる朗読動画を作成し、週に三作の形で公開を続けている。今年の初めから始まり、この間の金曜日にアップロードしたのは第193段、数えて111作目となる。この分量となるとアクセスの方法に気を使う必要を感じ、ここ数日、集中的に作業をして、Googleサイトを利用した特設サイト作成した。

朗読する章段には、『徒然草』の原作すべてが対象とするものではなく、選択があった。極端に長いもの、短いものを一通り避けた。それから、そもそも注釈の画像が存在しない章段もある。そのため、結果的には、原作244段から140段を選んだ。YouTubeで公開するにあたり、語彙解釈、現代語訳、利用画像の所在、原文を表記する字幕など、多様な情報を付け加えた。一方では、公開が章段ベースなので、特定の章段へのアクセスとして、プレイリストのみだった。しかも作品数が増えるにつれ、リストを開いたらつねに同じ作品が飛び出しても魅力が少ないと考えて、新しく公開したものがリストのはじめに来る方針を取った。一通り役目を果たすだろうが、公開作品の全容を把握するにしても、特定の作品に飛びつくにしても、便利だとは言えない。今度のGoogleサイトは、まさにこの考慮への一つの対応である。

Googleサイトの作り方、作業にあたっての要点や気づいたこと、さらにこれまで作成したいくつかのサイトなどについて、この「note」エントリーに簡単に記した。

朗読動画『徒然草』

2021年10月9日土曜日

市政選挙

いま暮らしをしているここカルガリーという百万人の都市は、いよいよ市政の定期選挙を迎えようとしている。市長をはじめ、市議会議員、そして教育局長など二十以上のポストをめぐり、政治家、あるいはそれを目指そうとする人々にとっては、まさに一大事だ。市長候補だけでも数えて27人、名前も覚えきれない。

一般市民の目から見ても、この一か月ほどはずいぶんと熱度があがってきた。道端や住宅区内には看板が多数立てられた。そのサイズはさまざま、大きいものには写真、小さいものには名前のみ、手作りに近いものさえある。家にいても、電話はたえず鳴らされ、インターホンも何回となく押された。応対に出たら、敷地の芝生に看板を立ててもいいかと尋ねられる。熱心なサポーターたちだ。自分の妻のために回っているとまっさきに名乗る男性もいた。平均的には女性が正装し、男性が普段着のままという印象だ。一度は、「あなたの隣の家族と会話している」などと開口一番に言われ、なんのことかと思ったら、「候補の本人だ」と紹介される別の男が走ってきた。その人に視線を向けたら、最初の男と比べて輪をかけたようなラフな恰好だった

選挙の投票は、いつも月曜日。こんどもいまから十日あとの18日だ。もうすこし関連の規定などを調べて、今年はきちんと投票所に行こうと考えている。

2021年10月2日土曜日

絵注釈の盛遠

「カナダ日本研究会年次大会」は、予定通りに開催され、今日で二日分の日程を終えた。わたしの発表も今日の午前に無事に行った。与えられた時間は、わずかニ十分。パネリストはみんな時間厳守で、質疑応答の部も熱気あふれるものだった。議論しきれなかったテーマは、ZOOMのチャットで全員、個人の形で続けられ、時を前後して関連のメールが四通も入ってきた。個人的にはいろいろと収穫の多いひと時だった。

今年取り上げたのは、『徒然草』絵注釈にみる思考や概念。これにたどり着いた直接のきっかけの一つは、第172段に対する『つれづれ草絵抄』の絵だった。「若き時は、血気うちにあまり、心、物にうごきて、情欲おほし」で始まるあの一段である。突然のように飛び出してきた「血気」、「情欲」などの文言に刺激されたからだろうか、「絵抄」の注釈は、なんとあの盛遠の話を取り出したのだった。右は、その絵の一部。二画面構成のこの段の絵は、さらに袈裟御前の夫、そして滝の下に立つ文覚と続く。江戸における文覚の話の享受について、すでにここで二回ほど触れた。(「袈裟御前から小春へ」、「盛遠物語」)同じ話に再び絵絵注釈で出会うのは、一つの読書経験としても、非常に意外なものだった。そして「絵抄」、進んで絵注釈全般の性格を考えることに繋がった。

年次大会のさらなる詳細、研究発表のタイトルや要旨などは、下記の特設サイトで公開されている。さらに『徒然草』172段の朗読動画、関連のデジタル画像などの情報は、「朗読動画『徒然草』第百七十二段」からアクセスしてください。

Japan Studies Association of Canada Annual Conference 2021