あと一日ちょっとで新しい年号が公表される運びになっている。日本からのニュースを読めば、分刻みの発表日程から、各国へのファクスでの伝達予定まで、さまざまな話題が尽きない。まるでお祭りの観を呈している。
年号とは、一国を支配する皇帝とセットとなり、いうまでもなく中国起源のものである。気軽にネットをクリックして漫然と読んでみれば、あれこれと興味深い事実を習った。一人の皇帝/天皇が複数の年号を使うのは日本中世の現象だと思い込んでいたが、どうやらそれは中国の明、清時代の仕組みからの早合点で、記録の持ち主は武則天の十七と、唐高宗の十四だった。長く続いた年号となれば、万歴の四十八年と乾隆の六十年は三位と二位に止まり、昭和の六十四年はトップの座を占めている。一方では、朝鮮王朝に目を向ければ、清への抵抗を貫くために、大明崇禎二百二十九年などの用例が実際に伝わっていると聞いて、さすがに驚いた。
新しい年号はどのようなものになるのだろうか。中国の典籍からの利用を止めるとの議論もどうも大いに議論されているもようだ。これまでの実践を見れば、もともと文章の一部をもとに適宜に文字を切り出しているのだから、あくまでも造語であり、原典との距離はかなり存在している。漢字二文字という限定が設けられているのだから、あまり意味のある議論とは思われない。あくまでも分かりやすくて、実用に役立つ言葉が望ましい。それの意味合いや思いも、時間の流れによって作り出すべきものだろう。願わくば無味透明な新年号が発表されることを切に祈る。
2019年3月30日土曜日
年号
Labels: 内と外・過去と現在
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