鶴岡八幡宮の「隠れ銀杏」について、何回となく書いてきた。(「鎌倉の大イチョウ」、「鎌倉の大イチョウ・続き」)実朝暗殺という一大事件だけに、銀杏をめぐる記述もきっと由緒正しいものだとばかり思いこんできた。ただ、事実はどうやら違うらしい。
関連する記述をいくつか眺めてみよう。『吾妻鏡』には、「窺来於石階之際、取剣奉侵丞相」とある。暗殺の場所は高い階段の途中、武器は剣という、きわめて簡潔なものだった。『愚管抄』になれば、「(公暁が)下ガサネノ尻ノ上ニノボリテ、カシラヲ一ノ刀ニハ切テタフレケレバ、頸ヲウチヲトシテ取テケリ。」転倒した実朝の体の上に乗りかかり、動きに任せてあっけなく首を切り落としたと、簡潔ながらもリアルな語り口だった。さらに『増鏡』(「新島守」)では、さらに驚いた詳細が加わった。「(公暁が)女のまねをして、白き薄衣ひきおり、大臣の車より降るゝ程をさしのぞくやうにぞ見えける。あやまたず首をうちおとしぬ。」狙い定めて冷静に行動した公暁の様子が漠然と抱いてきたイメージとはだいぶ違う。その彼はなんと女装までして緻密に計画して暗殺に取り掛かったのだった。
そこで、銀杏がこの激動に登場してきたのは、徳川光圀の『新編鎌倉志』を待たなければならない。「相伝ふ、公暁、此銀杏樹の下女服を著て隠れ居て、実朝を殺すとなり。」(「鶴岡八幡宮・石階」)さすがに四百五十年も経ったあとのことであり、古老の伝説として記されていた。平和な世の中、すでに観光地と化した鶴岡八幡宮の境内において、あのころの銀杏は、きっと圧倒的な存在感を見せていたに違いない。(写真は「鶴岡八幡宮境内図」より)
2019年8月3日土曜日
鎌倉の大イチョウ・伝説
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