2018年5月12日土曜日

鎌倉の大イチョウ・続き

週末、訪ねてきた客を伴い、鎌倉を歩き回った。あいにくの雨。同行者に若者がいるので、最初は鎌倉高校前で下車した。熱気溢れる人々のまなざしや会話を目の当たりにして、これまで知らなかったもう一つの鎌倉を満喫し、それに続いてようやく鶴岡八幡宮の境内に入った。自分が狙いを定めたのは、ほかでもなくあの風に倒れた大イチョウだった。

思えばちょうど八年前の今ごろ、ここを訪ね、その前後に起こったもろもろは記憶に新しい(「鎌倉の大イチョウ」)。あの時から、ほぼ二年に一度の割合で八幡宮を訪ね、その度に木の芽が出てこないかと期待を持ち続けた。そして、いくら時間が経っても空しい思いになったものだった。その経緯をクラスでも何回となく紹介し、時には学生たちの学期レポートにまで取り上げられ、若い人々にも伝わったと実感していた。そこで今日である。階段に上るところで上に向けてカマラを構えると、目に入ったのは相変わらずの巨大な木の根っこが鎮座する姿だった。今年も変わりはないのかと、階段を上り、上から振り返り、眺めてみれば、やっとずっと予想していた風景があった。りっぱな若木がしっかりと立ち、扇の形をした葉っぱは青々としてなんとも素晴らしい。同じイチョウはやっと蘇ったものだと、内心叫びたい気持ちだった。

考えてみれば、わたしたちが目にしていたあのイチョウは、八百年前から、はたしてずっと同じ姿のものだったのか、それともいまのような蘇りを繰り返したのだろうか。木を育てるということにかけて豊穣な知識や実践を受け継いできた日本の造園師たちは、どれだけの苦労と工夫をしたものだろうか。きっとどこかに記されていると想像しながらも、いつかそのような経緯を知りたいものだ。

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