2015年9月27日日曜日

婚礼

この週末、親しい友人の一人娘の結婚式があった。こんな年齢になっていながら、不思議なぐらい結婚式には出席しておらず、自分一人だけではなく、家族全員の大事な行事として参加してきた。

どの国も民族も、結婚となればしっかりした伝統がある。一方では、家族を持つ人は全員一度は通過する人生の儀礼なだけに、その取り組み方、進行の工夫、演出の仕方は、言葉通りに千差万別で、たとえ同じ文化の中でも、実際的に比較することは難しい。それにしても、あえてそのような異なる実践を横に並べて考えてみれば、やはり興味深い大きな違いがある。ごく簡単に捉えてみれば、親や家族が中心で、主催も運営も結果も両方の親の立場に直結するのは中国、儀式の上で親の存在を大切なものとし、親への注目を大きな眼目とするのは日本、とすれば、西洋の、というか、いまごろのアメリカ的なやり方は、あくまでも新郎新婦の二人の行事だ。親の存在は極端なほど目立たないところに置かれ、スピーチの一つ、ダンスフロアでの短い時間の拍手喝采ぐらい以外、参加者の注目は、いつでも美しいカップルに注がれる。視覚的にも、若もの中心の、揃いの服装を身に纏ったグループごとの動きは、東洋風の家族に見守られる子供というイメージとの距離を極端に現している。

20150926週末に式をあげたカップルは、それぞれ中国系とカンボジア系の二つの家族からの出身である。そのため、数週間前には、カンボジアの伝統に則る式がすでに行われ、それに続いて、金曜には中国風の式が設けられ、そのうえ土曜には西洋風の式が行われた。違う伝統の共存をもって、その間の融和が図られたという、とても美しい構図がユニークな形で姿を見せている。

2015年9月19日土曜日

学生ブログ

新学期がはじまったって十日ぐらいも経ち、週末をもってクラス登録が締め切られ、学生の顔ぶれも最終決定となった。今学期の担当はふたクラス。講義の内容は基本的には前の内容を繰り返すのだが、それでも二つのクラスとも前回と較べて学生数はちょうど倍となり、この事実だけでもかなりの緊張感が持たされるものである。

20150919四年生を対象にした日本語のクラスは、作文を課題とし、今年も同じくブログに投稿するというスタイルを取る。同じブログは、六年前から開設され、それから毎年のようにその年の学生を迎え、今年は六回目に入る。数えてみれば、今年も含めて、これまでの書き手はあわせて49名。初回の授業でそれぞれにテーマを決めてもらい、週一回の文章を書かせて作文のマラソンを強いるという構成になる。それにしても、課題の文章を続けさせると、その人の個性が手に取るように伝わってくる。今年も確定となったテーマを見れば、勉強、旅行、生活習慣といったきわめて個人的な経験はもとより、スポーツ、動物や環境問題などを取り上げるものでも、その人の思いを託すものであり、普段の付き合いではとても簡単に分からない若者の世界を垣間見るものである。それから、今時の大学生は、メディアの発達に伴い、不特定多数の読者に読まれるという自己表現にはまったく抵抗はなく、発表にあたっての心構えはしっかりと出来あがっている。作文即発表という流れも、りっぱにこなし、スムーズに本作業に入った。

新学期二週目にして、とりわけ記しておきたいのは、日本からの大学生たちとの交流である。はるばる高知大学から教育現場を体験しようと訪ねてきて、クラスの生徒数よりも多くの来訪の学生たちは一斉に教室に入ってくれた。おかげでクラスは個人授業に早変わり。作文という個性の表現を内容とする語学学習には、最高の経験をもたらしてくれた。

日本語作文ボード

2015年9月12日土曜日

ビジュアル検索

あの「エンブレム」の話題は、いまだに消えないで、さまざまな形でコダマをしている。テレビ番組などでは、まさにビジュアル的なアプローチを織り交ぜてこれを取り扱い、その中の一つは、グーグルの画像検索の方法を実際にパソコンの画面上で操作しながら説明をした。言葉を使って画像を検索することは繰り返しやってはいるが、思えば画像をそのまま使うことは、いまだ一度もしていない。思わず自分でも試してみた。

20150912手始めに、先週自分の手入れを試みた長谷雄の画像を使ってみた。画像アップロードのためにすこし時間がかかり、文字を用いるのと較べてもやもやした瞬間があったが、それさえ気にしなければ、検索結果が画面いっぱいに出てきたことには、まずはほっとした。さすがにどんな形でも楽しめられる長谷雄の画面だけあって、ヒットした内容は数多い。アップルの無料アプリから地方での小さなレクシャーの記録まで、中には、とある中国のサイトは絵巻の内容を中国語に直して丁寧に紹介したものまであった。しかしながら、よくよく眺めてみれば、先週グーグルのブログで取り上げた画像は、当然まっさきに現われてくるだとうと構えたのに、期待はずれだった。自分だけのユニークな画像を使ってさらにこの結果を確かめてみようと、つづいて三月のエントリーに用いた氷のネットの画像を入れた。今度は似てはいるが関係ない画像ばかりヒットし、エントリーの写真は見られない。ならば、二月のエントリーに使ったグーグルブックのカバーを入れた。画像のサイズは大きく、書籍のタイトルに大きな文字まで付いていて、しかもグーグルプレーからタイトルですぐたどり着けられる内容なのに、なんと見事にヒットせず、参考として出てきた文字情報も画像情報も、ともにまったく参考にならないものだった。

画像そのものを検索の手がかりに使おうとしなかったことは、あるいは自分の中でどこかこれを信用しなかったことに理由があるからかもしれない。そして以上のささやかな実験はこの思いを確かなものにした。ただし、グーグルがいつもそうやってきたように、このような検索の機能は、いつの間にかまったく違う方法や対象を導入して、全然異なる結果になるのだろう。しかも、これまでの経験からすれば、たとえそうなったとしても、まともにアナウンスされることなく、ユーザーとしてはただ期待しつつ絶えず試してみるほかそれを知る方法はない。

2015年9月5日土曜日

動く絵

すでに気づいた人が多いだろうが、インターネットで公開されている写真の中には、いつの間にか動くものが驚くぐらいのスピードで増えている。新製品の説明から、他愛のない笑いにいたるまで幅広く作成され、関心のある内容だと、ついつい見つめてしまい、文字解説以上の説得力に注意を奪われてしまう。

絵が動くと言っても、複数の写真を順番に見せるという意味で動画と原理がまったく同じだ。音声を対象としないという単純な前提に立ち、情報のチャンネルを一つ閉じることにより、動画との差を作り出す結果ともなった。動く絵の作りかたはいたって簡単だ。とにもかくにも複数の写真を用意すれば条件が十分に整う。しばらく前までは、これ専用のソフトがあれこれと開発されて使い較べれなければならなかったが、いまやほとんどオンラインの方法で用を満たすことができる。しかもすでに存在している動画にさえ対応していて、ビデオ撮影した動画を取り入れたらそのまま動く絵と変換されてしまう。出来上がったファイルのフォーマットはいわゆるGIF、その手軽さゆえに一つのスタンダードとなった。

20150905遊び半分に絵巻から一画面を取り出してみた。「長谷雄草紙」から双六対決という、眼目となるあの場面だ。適宜にパーツを切り出してずれた位置に貼り付け、そうやって出来た複数の絵をまとめれば結果達成であり、ほんの数分間だけの作業だ。用いたサイトの名前は、「gifmaker.me」。古典の絵に、勝手な動きが加えられたら鑑賞の邪魔になるという批判は、大いにありうるだろう。ただ逆に言えば、見せたいところがよりはっきりとなったとなれば、表現としてこれ以上明快な方法はないとも言えるのではなかろうか。

メモ:「絵巻詞書集」には、「枕草子絵詞」、「長谷雄草紙」、「絵師草紙」など五タイトルを付け加えた。