2017年12月30日土曜日

くるみ割り人形

カナダのお正月は、クリスマスから続く長い休みの終わりに来る。休日の中、バレー追加公演のチケットをほぼ前日に購入して、この町の一番大きい音楽ホールに入った。演目は、あの「くるみ割り人形」。舞台上も、綺麗に着飾った観客も、そして街を包む雪まで、すべて幻想的なものだった。

ストーリーの中で、悪者の集団というのは鼠の群れである。それがしっかりと見応えのあるハイライトとなった。子どもたちが扮する小さな鼠たちは、ステージの転換とともに大人のダンサーに代えられ、主人公は一瞬のうちに童話の世界の中に迷い込んだのだった。いうまでもなく、そのすべては踊りによって伝えられている。そう考えて舞台を見つめれば、バレーってけっこう究極な表現だとあらためて気づく。それなりに入り込んだストーリがテーマになっているが、他の演劇と違い、文字はもちろん、台詞、歌などをとことん排除し、あくまでも音楽にあわせた仕草や体の運動をもって表現されている。いわば手段の選択は限界を極めている。そのため、舞台上では、老人の踊り、動物の戯れ、人形の不思議など、それぞれ特徴的な状況が繰り広げられている。そして、そのどれを取り上げてみても、いたって誇張され、時には饒舌なほど繰り返されたものだった。絢爛なバレーはまるで絵巻、といったような陳腐な比喩があるが、表現手段を削ったところに、絵との共通が隠されたと言えなくもない。

もともとほとんどの観客は、童話を熟知し、絶えず起こった拍手もあくまでも常人を超えた踊りに送られたものだった。言い換えれば、ここにストーリはあってないようなものだ。あえて絵に思いを馳せれば、この側面も忘れてはいけない。

The Nutcracker

2017年12月23日土曜日

文字の姿

今年は、曜日の並びもあって、金曜日からすでに年末年始の休暇に突入した。大学もキャンパスが完全に締まり、新年あけの二日まで休みが続く。この一年のことをあれこれと整理し、日本から持ち帰った書籍を手に取ったら、あの「絵巻マニア列伝」のカタログを読み耽け、再び惹かれた。

たとえば右に示した二行の抜粋。おそらくこの展示全体を見渡しても一つの代表的なものであり、絵巻、それの制作、そして享受を結びつける精緻をきわめた一コマに違いない。二行の文字は、「実隆公記」に記され、「及晩石山絵詞立筆」(明応六年十月九日)、「石山縁起絵詞終書写功」(同十一日)と読む。新たに巻四を補作するにあたり、実隆は書写を依頼され、名誉ある作業を三日ほどかけて完了させたものである。あわせて六段、数えて百三十九行という分量である。それにしても、文字の姿というのは、見つめるほどに味わいがあり、想像を羽ばたたせる。「石山寺縁起」の詞書は、簡単に見られるので、関心ある人ならすでに繰り返し読んだことだろう。じつに堂々たる書風で、今日の人々が抱く中世の文字のイメージをそのまま具現化したものである。一方では、同じ人間でありながら、日記という私的なものとなると、文字はこうも違う。すべての線はおなじ太さを持ち、文字の形は思いっきり崩され、おそらく凄まじいスピードで書きあげられ、筆者以外の人への情報伝達を最初から拒んでいるようにさえ見受けられる。

絵巻と古記録、絵画と文字、そして作品とマニア、これを同列に一堂に集めた展覧会の様子は、いまでも脳裏に明晰に残っている。一方では、文字資料には、翻刻や現代語訳、ひいては音声解説など、多くの説明が施されたが、それでも見る人の足を止められなかったように見受けられた。新たなアプローチだけに、よりマッチした展示の方法とはなにか、やはりついつい空想してしまうものだった。

2017年12月16日土曜日

講義終了

秋学期の講義は先週をもってすべて終了し、今週の一週間はもっぱら一人ひとりの学生の最終成績を出すことに費やした。学期末試験を設けていなくて、その代わりに全員レポートを書かせ、それが一斉に入ったので、とにかくこれを通読するのに集中した。

レポートの採点は、たしかに仕事には違いないが、一方では、じつに楽しい。一学期の学習成果として関連のテーマを見つけ、調べて議論を試みるというのが、普通のやりかただろうが、ここ数年、議論も歓迎だが、創造性を奮い立たせて自分なりに表現するとの方向に学生たちを意識的に誘導した。今年も同じ形で課題を出した。結局のところ、いまの若者は形一遍の議論よりも、あきらかに表現のほうにやりがいを感じ、かなりの時間をかけ、思い存分に想像力を羽ばたけ、多種多様の成果を持ち込んだ。形式だけ見ても、庭園の模型、ボードゲーム、街頭インタービュー、はてはパソコン・ゲームと、思いも寄らないものばかりだった。その中から、短編のストーリとマンガのみ取り出して、小冊子に纏めるというささやかな伝統は、今年で四年目になるが、相変わらずに続けたい。じじつその成果の一部はすでに明らかになり、口で説明するよりも、はるか具体的に学生たちの創造欲を刺激し、その積み重ねの結果、同じ講義でも受け止め方はすこしずつ質が上がっている。

ちなみに、これは今年の講義ではじめて取り入れたやり方だが、いくつの講義の終わりに「Google Forms」を用いてコメントを書かせた。生き生きとした反応を集められただけではなく、大人数のクラスで簡単に対応しきれない出席を確認する役目も果たし、採点の参考にまでなった。手応えのあるクラス活動として、ここにメモして覚えておきたい。


2017年12月9日土曜日

ビデオコンテスト

前からずっと関心をもつ構想の一つには、学生たちのビデオ作品を集めて披露するというものがあった。今年の夏、国際交流基金からの助成が与えられ、日本語の課程を開設しているカナダの大学に声を掛けたら七つの大学からの賛同が得られて、「カナダ日本語ビデオコンテスト」を実施した。募集の締め切りは二週間ほど前であり、実行委員会によって選出された候補作30作が公開され、ただいま特設の審査委員会に審査をかけられている。

行事の告知から、応募作品の提出、そして公開などすべて既存のものを利用する方針を採用した。そのため、コンテスト名義のグーグルアカウントを取得することから始まり、公式サイトはグーグルサイト、応募はグーグルフォーム、そして作品発表はYouTubeチャンネルと、すべてグーグルの環境に依存することにした。この過程において、じつにいろいろなことを習い、多くの知識が得られた。行事を主催するにあたり、著作権関連のことにとりわけ注意を払ったので、実際の経験から管理の一端が見えてきた。動画作品には、音楽が欠けられない。利用された音楽になんらかの権利を侵害しないかと慎重を期して、「AHA Music」というツールを利用してタイトルや歌手の情報を取得した。その場合、著作権フリーの音楽まで歌手情報などが明確に得られた。一例のみ、動画の作者が本人がもっている音源を利用したものだが、YouTubeサイトは、「歌手が利用を許可する、広告が現れる可能性あり」との旨の知らせをアップロード画面に残した。画像情報については、著作権に抵触するものはないとの表示はチャンネル設置の画面にはっきりと出ていて、そのような角度からYouTube側が目を光らせたことが分かる。

今年の「新語・流行語大賞」には、「ユーチューバー」が候補の一つになった。ただ、世の中では、これを語るになぜか収入やらフォロワー数やらに関心が集まる。動画と収入は、もともと連結する必然性はない。単なる視聴者の数を狙うのではなく、動画媒体の表現や記録、ひいては教育や文化宣伝における有効な手段としてのユーチューバー的な活動の可能性も見逃してはならない。

カナダ日本語ビデオコンテスト

2017年12月2日土曜日

デジタル絵解き

去る月曜日、笠間書院から「日本文学の展望を拓く」五巻が郵送されてきた。待ちに待った出版である。手元の作業を投げ出し、小包を開き、いずれも400頁近い新刊を後から後から捲った。まず頭の中に浮かんできた言葉は、ひさしぶりに体験し、強烈に伝わってくる「書の香り」だった。

わたしが投稿したのは、「絵画・イメージの回廊」に取り上げられた絵画メディアに沿った一篇である。論考の内容は自由に選んでよいという寛大な編集方針に甘えて、デジタル関連の最近の仕事を報告することにした。そもそも紙媒体の出版物にデジタルの作業を説明する機会はかなり限られている。そんな中で、与えられた貴重な紙幅を用いて、ここ数年手探りで試みてきた画像、音声、動画などの異なるデジタル方法を絵巻の読解に応用した経緯、成果、そしてそれに掛けた思いなどを纏めた。そして、この一連の実践を一括りに「デジタル絵解き」と名付けて、絵に向けてきた歴史的な視線との関連、連続、継承を訴えようとした。

今週オンライン全文公開された「リポート笠間No.63」において小峯和明先生が自ら触れられたように、このシリーズは小峯先生の古稀記念のために企画されたものである。思えば、いまからちょうど20年まえの1997年の夏、外来研究員として立教大学に招かれた以来、小峯先生にはその教えに接し、研究や生活などにおいて数え切れないほどのご配慮を賜り、お世話になった。このブログの出発も、まさにそのような研究滞在の一つから生まれたものだった。池袋界隈での日々を覚え出し、各巻の編者や錚々たる執筆者の顔ぶれを思い浮かべて、なんとも感慨深い。

日本文学の展望を拓く

2017年11月25日土曜日

昇天する李白

大詩人李白。その生まれは太白星に由来するならば、その死もけっして凡人の真似るものではない。事実、李白の終焉については、病死説もあれば、酒に酔って船から水中に落ちた伝説もあり、はたまた天上に昇り仙人に姿に戻った派手な言い伝えもある。

昇天する李白の様子は、どうやら明の時代になって広く語り伝えられるようになったもようだ。その様子は、丘浚の詩「謫仙楼」などに詠まれている。そしてより詳しく、いきいきとしたものには、馮夢竜の話本「警世通言」第九話「李謫仙醉草嚇蛮書」があげられる。おなじく船に乗り、酒に耽る李白の周りに、とつぜん強風が吹き水面が荒れ、衆人が見守るなか二人の童子が現われて仙人を迎えにきたと声高らかに宣言する。はたして李白はそのまま天上へと消えて行った。ただこの場合、仙人を載せたのは、ちょっと一風変わっている。それは駕籠でもなければ竜でもない。なんと鯨なのだ。一方では、どうやら明の人間にはすでにこの伝説についてのビジュアル的な理解にある種の無理を感じていたらしい。その証拠に、「警世通言」初版本に添えられた挿絵は、この「鯨」という生き物を巨大な魚として描いた。しかも天の昇っているのだから、体にしっかりと羽がついている。

ちなみに「警世通言」は文学史的に重要な名作だったにもかかわらず、中国には伝わらず、二十世紀に入ってから日本から持ち帰られ、現代の読者に広く読まれた。対して、早稲田大学に所蔵されている初版本は、デジタル公開されており、クリック一つで全文にアクセスできる。

警世通言」(早稲田大学図書館蔵)

2017年11月18日土曜日

DHを語る

金曜日には、ややユニークな研究会が開かれた。ワークショップと名乗り、長年の同僚三人がそれぞれ30分の持ち時間で発表をした。ともに中世の文献を対象にするが、それぞれの文献の言語は、英語とスペイン語と日本語。しかも発表者はともにデジタルのアプローチを試みて20年以上の経験を持ち、なかでわたしのほうが一番キャリアが短かった。

わたしのテーマは、最近作成した「デジタル展示・からいと」を取り上げ、IIIFのアプローチを解説しみてた。IIIFのことはまだまだ知られていなくて、とても高い関心をもって迎えられた。それにしても、それぞれに続けられてきた九十年代からのアプローチとは、はたしてどのようなものだろうか。英語とスペイン語の二人の方の場合、ともにデジタルというツールを活かして、肉眼では識別しづらい、あるいはできないものについての発見に重きを置いている。いまや標準的なものになったが、かつては予想もしなかった可能性を感じさせた画像処理技術の利用やその成果が語られた。それから、個人的にあらためて印象を覚えたのは、デジタル研究と在来の研究との接点や融合に努力を惜しまなかったことである。デジタルの方法で得た知見は、いずれもしっかりと紙媒体の出版物にし、そしていろいろな規模の研究助成を長年にわたって受け続けている。北米の大学でのデジタル研究にまつわる状況の一端が垣間見る思いがした。

研究会に集まる場として、大学のデジタル図書館の中に位置する「ビジュアルスタジオ」を選んだ。椅子を30脚程度しか入らない小さな部屋だが、壁一面がスクリーンとなっている。すでに四、五年まえから利用できるようになったものだが、横四メートル、縦身長以上のスクリーンの前に立ち、それも手でタッチしながら話を進めるのは、自分にとってはじめての体験だった。人間よりも大きい、しかしけっして映りに負けない奈良絵本の画像を見せて、かなりのビジュアルインパクトを提示したと思う。

2017年11月11日土曜日

謡曲敦盛

学生たちと英語で読む古典、今週のテーマは謡曲「敦盛」。能とは何かというところから話を始めなければならないので、伝える知識を最小限に絞り、悲劇の英雄のありかたや中世的な視線を解説することに力を入れるように心がけた。言葉そのものにいまだかなりのハードルがあるため、舞台の録画よりも絵のほうを取り出して見せるようにした。

すでに五年近くまえのことになるが、『中世の物語と絵画』の一章として奈良絵本にまつわるデジタル環境のことを纏めたことがある。その中での一つの実例として、『小敦盛』諸本関連のデジタル公開を触れた。それを改めて読み返し、急速に変化する現状と照らし合わせた。結論から述べると、早稲田大学図書館蔵の全点公開、神戸市立博物館、サントリー美術館のサムネイル画像公開は引き続き利用できることに対して、国文学研究資料館蔵と慶應大学図書館蔵の二点はともに新たに撮影され、しかも今年に入ってからIIIF基準に準じてデジタル画像公開に至った。同じタイトルでも、わずかの時間の間にデジタル公開の状況が大きく前進したと言わなければならない。

クラスの話に戻るが、学生たちによるグループ発表に一時間の時間を与えた。若い学生たちは、いつもいまの日常から何らかの話題を拾ってきてクラスを楽しませている。それは、たとえば武士といえば黒沢の映画といったような、なんとなくかなり焦点がずれたものとなってしまう。しかしながら今週のそれは、「水曜日のカンパネラ」の最新アルバム「SUPERMAN」からの一曲「世阿弥」を流し、しかもインターネットで公開されているファンによる英訳まで添えた。ここまでなれば、教える自分はしっかりと教わった。

たとえば「小敦盛」と題する絵巻。デジタル公開(部分公開を含む)は五点と数えられる。五年ほど前に記録した状況と比較すれば時の進化を改めて知る。

「世阿弥」(水曜日のカンパネラ)

2017年11月4日土曜日

楊貴妃の死

狩野山雪筆の「長恨歌絵巻」は、一番のハイライトである楊貴妃の死を表現して、興味深い構図を用いた。敷皮に膝ずく楊貴妃に向かい、けたたましい武士は一本の縄を手にしている。日本の絵巻や奈良絵本などを見慣れた目には、このような人間の位置配置に素直に処刑と理解するところがある。たとえば「熊野権現縁起絵巻」(和歌山県立博物館蔵)や「熊野の本地」(駒澤大学蔵)などをすぐ思い出す。ただし、目を中国に転じれば、そう素直なものではない。白楽天の「長恨歌」に絞れば、むしろ問題はより大きい。

そもそも楊貴妃の死については、歴史書はたしかに「縊死(くくって死ぬ)」とある(「旧唐書」、「資治通鑑」、など)。一方では、同時代の伝聞などとなれば、かならずしもこれが答えのすべてではない。事件から数ヶ月しか経たなかったうちに書かれたと言われる杜甫の詩には、「血汚遊魂歸不得(血汚の遊魂、帰り得ず)」(「哀江頭」)との句が読まれる。そして、肝心の「長恨歌」は、「宛転蛾眉馬前死(宛転たる蛾眉馬前に死す)」、「迴看血涙相和流(迴り看て血涙相和して流る)」とある。死に方は明記していないが、血が流れていることだけは強く訴えている。もともと白楽天の詩をすべて字面通りに受け取ることも警戒すべきだ。同じく楊貴妃の死をめぐり、近代に入ってからのとある有名な考証などは、「不見玉顔空死処」にみる「空」を「むなしく」ではなくて「そら(ごと)」と解して、これを根拠に妃が死ななかったという破天荒な結論に辿った説まで導かれたものである。

つぎの水曜日に小さな発表が予定され、この絵巻を取り上げてみる。この週末は冬時間に変わるため、余分な一時間が生まれる。発表の準備に当てることにする。

The Song of Everlasting Sorrow

2017年10月28日土曜日

虚構の絵巻

学生たちと読む古典、今週のテーマは、元雑劇の代表作「趙氏孤児」である。七百年以上も前の作品だが、それよりさらに二千年もまえの歴史文献に構想を求め、それを基にだれでも楽しめる舞台劇に仕上げられたものだ。今日になって文字でしか読めないが、その物語の中心的な展開に絵巻がクローズアップされたことに、少なからずの驚きを覚えて。

劇の主人公は、我が子を犠牲にして、冤罪に消された趙家族のただ一人の子供を救い、育てる。そこで物語の終盤に入り、劇の第四駒(折)において、大人になった孤児にかれの生まれの真実を伝えるために、主人公は絵巻を用いた。もろもろの出来事の様子を絵に描き起こし、それを孤児一人で読むような時間を慎重に用意し、さらに聞かれることに答える形で描かれた内容を語り聞かせる。いわば真実を訴えるには、絵が最大の、疑いようのない道具に使われたものである。はたして孤児が復讐に燃え、そして悪人を捕まえ、処刑するという物語の結末に至る。

虚構の物語のプロットに登場した絵巻、したがって実際には存在しなかったはずだ。日本の王朝文学においても、似たような虚構の絵巻が多く存在していた。それが虚構でありながらも、あるいはそれだからこそ、人々の絵巻に向ける視線をよく映し出していると言えよう。(写真は、2012年に制作された同名の映画からのいち場面。物語に登場した絵巻のイメージを妙に生き生きと伝えている。)

メモ:
ブログ「絵巻三昧」を開設して、今月で十年の歳月が流れた。週一篇と淡々と書き続けてきて、今週の記事は564と数え、読み返せば貴重な記憶や記録がじつに多い。国際交流基金フェローとして立教大学に滞在する間、ブログの仕組みを調べ、タイトルに使う絵を作るなど、試行錯誤しながら違う性格の作業に打ち込んだのは、昨日のことのようだ。このブログのおかげで、多くの友人知人との出会いに恵まれ、さまざまな交流が出来た。心よりありがたく思っている。

2017年10月21日土曜日

デジタル展示・からいと

御伽草子の一篇である「唐糸草紙」を取り上げる特設ページを作成した。底本は国文学研究資料館蔵「からいと」である。これまで、「国文研データセット」(2015年11月)に収められた同底本のデジタルデータを用いて、原文の翻字・読み下し(2016年6月)、全文朗読「動画・からいと」(2017年9月)と、それぞれ違う方法でアプローチを試みてきたが、それらの作業を総点検する形で「デジタル展示・からいと」としてあらたに纏めた。

国文研本「からいと」は、十二枚の絵をもつ。この特設ページでは、これらの絵を基に十二節に分けた。各節では、簡単なストーリ紹介、画像解説、それに鑑賞コメントを用意した。これまで作成された翻字・読み下しと朗読動画は構成の中心となるが、さらに早稲田大学図書館蔵絵巻と国会図書館蔵版本という代表的な二点の底本を加え、それぞれの画像の一部を掲げて、デジタル画像の所在をリンクで示した。

この特設ページの狙いは、急速に普及を遂げているIIIFスタンダードの魅力を体感し、その利用法を模索することにある。とりわけ人文学オープンデータ共同利用センターより公開した「新日本古典籍総合データベース」(2017年4月)において、デジタル化されたタイトルにIIIFマニフェストが付与されていることを受けて、このページの構想を企てはじめた。具体的に言えば、IIIFスタンダードに載せたデジタル画像は古典資料の利用の可能性を与え、サイト構築のためのOmeka、IIIF画像利用ツールのIIIF Toolkitは身近な方法を提供してくれた。ちなみに「デジタル展示」とはまさにOmekaが用いるExhibitsというテンプレートからの着想である。用意された資源と方法に対して、研究者が取りうる行動の可能性を模索し、提示してみようとするものである。

ここに永崎研宣氏に感謝したい。OmekaとIIIF Toolkitとの融合が構想されているとのことは、同ツール公開の今年6月より前の春に氏に教えていただいた。そのあと、実際の利用に向けてさまざまな試行錯誤を経て、ようやく永崎氏からいまのサーバーでの利用許可をいただき、このページの開設が実現できた。

なお、デジタル展示に英語バージョンを用意した。原作の全文英訳は、じつは近隣にあるアルバータ大学から公表されている一篇の修士論文に収録されている。英語のみの読者にもアピールできるのではないかと、あわせて所在のリンクを添えた。

デジタル展示・からいと

2017年10月14日土曜日

産褥の読み方

お伽草子の画面において、出産は繰り返し描かれるテーマの一つである。状況、行動、そして人物が画面から極限までに削られたところ、残された構成内容とは、白い服装と、座った姿勢を取る産婦を囲む、うず高く積み重ねられた専用の空間である。この特徴的なスペースのことを、当時の人々はたしてどう呼んでいたのだろうか。じつはこの答えを求めて、関連の知識を持っていそうな人に会えばすぐ聞いてみている。ただ満足な結果にいまだたどり着いていない。

そんなところ、江戸も後期の書物である「病家須知」のいちページが目に飛び込んできた。すこしヒントになるのではないか思われた。早稲田大学図書館の所蔵がデジタル化されているので簡単にアクセスできた。示された言葉は「産褥」である。絵から判断して、同じ空間のことが示されているとは明らかだ。言葉の読みは、「サンゴの子ドコロ」だった。もともと、この言い方ははたしてこの語彙の読み方なのか、注釈的な説明なのか、にわかに判断できない。同時に「ジャパンナレッジ」データベースからこれを追跡してみれば、「産褥(さんじょく)」はどこまでも現代語の語彙として扱われ、平安時代の文献にみる「産屋」の訳語として頻繁に用いられた。

古典画像と同時代の文字文献とを照合する努力の具体例として、ここにあげた構図や言葉について週末の学会での発表で取り上げた。あわせて学会プログラムなどの詳細を添えておく。

JSAC CONFERENCE

2017年10月7日土曜日

TED@317

日本歴史入門を英語で教えるクラスは、今年五回目の担当となる。今年も定員百人、一時は満員となったが、そのあと数人離れ、いまは落ち着いた顔ぶれとなった。使用する教科書などは変わらず、ほぼ同じ内容の繰り返しだが、毎回はすこしずつ手入れをしたりして改善を続けた。今年は、TEDというスタイル借りての学生発表を試みた。

学生たちに提示したタスクは、TEDを真似した「3分プレゼン」である。テーマは講義リストから選んでもらう。クラスの時間は貴重なので、毎回先着順で2名までとし、それ以外、あるいは最初から講壇に立たない選択をする人は録画して提出させる。内容に独自性を求め、いまの学生には、発表にタイトルをつけるなど基本的なことをむしろ繰り返し強調しなくてはならない。提出の方法は、学内システムの「D2L」を用い、クラス内で共有するため、先生のみ見られる宿題のセクションではなく、全員アクセスできる討議のセクションを選んだ。ビデオファイルのサイズを考えて添付には不安が残り、Dropboxなどの使用をあわせて提示した。集めたものは、さっそくクラス名で登録したYouTubeのチャンネルに集め、公に公開しない方法でクラスに提供することを予定している。

この作業の締め切りは来週の週末。どのような作品が出来上がるのか、仕掛けた本人はむしろ一番わくわくしている。よい作品は、講義の合間に上映する予定だ。さらになんらかの形で傑作コレクションを纏めて公開することも視野に入れたいものだ。

2017年9月30日土曜日

パンダの名前

今週伝わってきたニュースの一つには、上野のパンだの赤ちゃんに関連するものがあった。生れて百日過ぎたところでようやく名前が決まり、それが大々的に発表され、一つのフィーバーを巻き起こした。

個人的には、名前そのものではなくて、それの英語表記に目を奪われた。名前に用いた文字はまず無難であり、シャンシャンという響きも心地よい。ただ、発表の場において示されたローマ字表記は、なんと「Xiang Xiang」となっている。これを知らずに最初に英語でかわされた情報に接したとき、それを伝えた人が単純なエラーをしたとばかり思い込み、気に止めなかった。だが、同じ表記が再び目に入り、ようやくこれが正式なものだと知り、不思議でならなかった。結論からいうと、「Xiang Xiang」とはいうまでもなく日本人には通じなくて、英語としても平均的な人々が発音できないものである。これが採用された意図も文脈も難解である。そこで同僚の一人に教えてもらったらようやく説明がついた。すくなくとも発表の場のあの表記は、中国語のつもりなんだ。日本人を相手にして、たとえばスベインやイタリア関連の出来事ならその言語で表記するのと同じ理屈で、中国語表記をしているものである。ただ、中国語を母国語とするわたしには、こう言われるまでにはこれが伝わらなかった。理由は簡単だ。ピンインというものは、発音を記録する手段や、中国語習得のツールであっても、中国語表記の一部分として全面に押し出されることは現実的にはほとんど皆無だからである。

やっかいなことに、パンダの名前という出来事を英語として伝えるとなれば、これで余分な苦労が生じてしまう。事実、ほとんどの英語の記事は「Xiang Xiang」の表記を用い、これがはたしてどこの国のことなのか分からなくなるという混乱が起こり、はてには「日本語ではShan Shan、中国語ではXiang Xiang」という妙な記事まで現れた(Daily News, 2017-0-25)。記者の神対応に脱帽だ。

2017年9月23日土曜日

WiP 2017

職場にはささやかな伝統がある。新学年の始まりにあわせ、同僚たちが集まってそれぞれの研究上の関心事を語りあうというものである。名付けてWiP(Work in Progress)。今年のそれは金曜日の午後に開かれ、一時間半の間に14名の発表が行われ、それぞれスライド一枚のみ用意して、3分のプレゼンと2分の質疑応答という形である。発表者には大学院生もいて、専門分野は近世ヨーロッパ文学や言語学関連が多かった。

すこしでも共通した関心を誘い、かつ説明しやすいように、「仮名百語」を持ち出して、デジタルアプローチについての考えを述べてみた。質問には興味深いものがあった。「実際の授業に使えるか」、「変体仮名はいつごろ使われたのか」、「どこまで字形のスタンダードが存在するのか」など、基礎的な背景知識に関わるものがほとんどだった。ただ、その中で、若い大学院生からの質問はいささか意外だった。いわく、「アプリは無料なら、ソースコードは公開しているのだろうか。」プログラミングのことを意識しているらしく、人文系の学生にとっても、デジタル技術の利用や再生産はかなり意識され、身近なものになったのだと気付かされた。

行事のはじめに、部署統合であらたに出来上がったスクールの長は挨拶し、3分間発表の大切さを力説した。院生や若い同僚たちを念頭にしたものだろうけど、自己紹介のために短いバージョンの説明を用意しておくことは、研究のキャリアのために必須なのだと伝授する。実用的で積極的な自己アピール、どこか朗らかでいて楽天的な、いかにも西洋的な心構えだった。

2017年9月16日土曜日

長恨歌絵巻

今学期の講義は始まった。担当のクラスの一つは英語で読む中国と日本の古典。なんらかの形で互いに交流のあった名作を八点選び、これから十三週間かけて読んでいくというものである。最初の一篇はあの「長恨歌」。詩の内容を説明するために、チェスター・ビーティー・ライブラリー蔵「長恨歌絵巻」(狩野山雪筆)を持ち出して、絵の画面を学生たちといっしょに眺めるという方法を取った。

同絵巻は、とにかく詩の再現に最大の精力をかけている。そういう意味においては、詩の文言と画像の内容は高度に呼応し、ところによっては極端なぐらい重複している。その中において、たとえば画像の中での相互のズレ、表現にみる齟齬などを見つけ出し、その理由などを推測することは、一つのテーマになる。いちばん分かりやすいのは、絵巻の最後の部分だろう。詩にある「海上に仙山あり」を描いて、この世にありえない荘厳な楼閣を三回も繰り返し登場させた。道士が訪ねる、貴妃と対面する、会話するという三つの段階を叙事的に表し、それに合わせて、貴妃の寝室は三回とも覗かれるようになっている。しかしながら、それがまったく同じ角度でありながらも、屋根の形、回廊へのつながりなど、それぞれまったく違うものになっている。あえて一つの可能な解釈を試みるのならば、いまごろのファンタジック映画の中によく現れてくる動く建物、変幻自在に姿を変え続けるまぼろしの風景に迷い込んだとでも言えるのだろうか。

思えば十年ほどまえ、国際集会に参加して、修復されて間もないこの絵巻を実際に拝見した(「チェスタービーティー・ライブラリーより」)。研究者たちといっしょに展示ホールに入り、感嘆のざわめきの中でこれを眺め、そして翌日になって、発表の会場から抜け出して一人で展示ケースの前に立ち続けたことは、まるで昨日のことのように記憶に新しい。

2017年9月9日土曜日

京都大学デジタルアーカイブ

今週伝わってきたニュースの一つには、京都大学付属図書館がこれまでの貴重書デジタルデータベースをリニューアルして、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」と名前を改めて公開したのがあった。約1,500タイトル、約14万コマという分量もさることながら、画質やアクセスの方法など、まさに現時点のデジタル公開の最先端を代表するものである。わくわくして内容を眺め、さっそくにでも三週間ほどあとに予定されている一つの特別講義にこのアーカイブに収録された「弁慶物語」をとりあげることに決めた。

正確で完全な記録はきっとどこかに存在していると思うが、京都大学は古典画像資料のデジタル公開に一番最初に取り掛かった機関の一つである。手元に残っているものを見れば、早いものは1994年前後に遡り、現在でもアクセスできる「國女歌舞妓繪詞」の最初の「WWW版」は1996年1月と記され、その画像のサイズ(625x462)は、いまのサムネイルと変わらないものである。しかしながら、インターネットを通して御伽草子の画像を見れたとの当時の興奮はいまなお記憶に新しく、なによりも多くの出版物のカラー写真だってまさにこの程度のものだと付け加えておかなければならない。

それに対して、今度のリニューアルの大きな眼目は、サイトの冒頭に掲げられているように、「デジタルアーカイブの国際規格IIIFに対応してい」ることである。ここに来て、画像の公開にも、各自適宜に判断するのではなく、国際的に頼れる規格というものが存在するようになった。このIIIFの規格というのは、たとえば画像の色彩や解像度などを規定するものではなく、デジタル画像そのものの相互利用の利便を目指すものである。具体的には画像の見せ方、引用の仕方、そして画像内容に対する文字情報の追加などに細かな工夫や配慮が図られている。言い換えれば、京都大学のデジタルアーカイブの歩みにおいて、画像資料公開における20年の進化が集約されている。それは、画像の解像度が高くなったり、通信スピードが速くなったりするようなところに止まるものではない。突き詰めて言えば、画像を閲覧させることから、それを利用させることへと進化したものである。

このように考えれば、図書館の役割をあらためて見直さなければならない。もともと図書が集まるところだった図書館は、いまやデジタルという新しい性格の情報を作成し、それの公開の仕方を模索して実践するところに進化したのである。印刷された図書を貸し出すという在来の方法とは根本的に異なるデジタル情報の利用には、どのような未来が待っているのだろうか、まだまだ明確な答えができたとは言えない。情報メディアにおいて、むしろ図書館が一歩先をリードしている。今度は用意された資料をどう利用するのか、研究者たちが本領を見せる順番になる。

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

2017年9月2日土曜日

動画・からいと

カナダの大学の新学年は、九月をもって始まることになっている。夏は終わった。静かに流れた時間を記憶するために、古典朗読のタイトルをさらに一点制作した。今度も同じくYouTubeで公開することにした。

とりあげたのは、御伽草子に収録された一点、「からいと」である。底本は、国文学研究資料館所蔵で、「日本古典籍データセット」から公開されたものである。原典は上下二冊、あわせて三十五帖、約一万二千文字。これをややゆっくりしたスピードで読み上げ、約一時間強の長さの録音となる。文字の上に朗読の箇所を示す罫線を動かすという、これまで何回か試みた動画は、わりあい簡単に作成できるので、こんども採用した。一方では、原典に計十二枚の絵が挿入されている。これをベースに作品を十二の部分に分け、十二の短い動画ファイルに纏めた。

古典を朗読で親しんでもらう、美しい変体仮名への指示もあわせて提示することにより、古典文字読解の知識まで身につけてもらう、これを目指した個人的なささやかな試みである。一方では、たとえば慶応義塾大学メディアセンターが公開している「くずし字OCR」、Googleが提供している読み上げエンジンを組み合わせれば、いまの作業は自動的に完成する可能性はすでにそこに存在している。それが実際に実現されるまでに、それへの期待も含めて、いまのような努力を続けることはけっして無意味ではあるまい。

動画・からいと

2017年8月26日土曜日

IIIFのいま

デジタル画像資料の公開や利用に関心をもつ人なら、IIIF(トリプルアイ・エフと読む)の発展ぶりに目を見張る思いを抱くことだろう。大規模な図書館や美術館のコレクションはつぎからつぎへとこれにあわせた公開を表明したり実施したりし、そしてさまざまなツールが開発され、新たな利用方法が案出されるようになっている。

IIIFの本質は、デジタル画像データの閲覧や共有のための技術的な約束(スタンダード、プロトコル)であり、画像と文字という二つのメディアの自由な行き来、画像データの共同利用を目指すものである。はたしてこれが最善の答えかどうかと確信をもつまでにはいまだ時間がかかるだろうが、ともかく一つの非常にありがたい枠組みができたのである。

一方では、個人的に関心をもつ日本の古典資料にかぎって言えば、いまだ飛躍的な可能性が提示されてはいるが、満足に研究に利用できるまでにはいまだかなりの道のりがあると言わざるをえない。具体的な機関名を憚らずにあげて考えてみれば、e国宝、早稲田大学図書館、国会図書館などデジタル公開の先発機関は、簡単にこの基準に切り替えられないことは理解できることだろう。対して、慶応義塾大学メディアセンターのデジタル公開は、IIIF基準を用いていながらも、他機関からの利用のためのmanifestを提供していない。現時点では、大規模公開の名にふさわしいのは、国文学研究資料館の「日本古典籍データセット」(「新日本古典籍総合データベース」からアクセス可能)のみである。

画像資料の共同利用が目標なはずのIIIF基準であるが、これを取り入れることは即利用可能を意味しない。言い換えれば、ここでは、利用というコンセプトの理解には、閲覧、引用、部分取り出しなどさまざまな開きがあるようだ。共同利用を目標に複数の機関が協力するアメリカやカナダの大学などに見られる姿勢と、あくまでも慎重で使えるところから試みるという日本的な取り組みには、それぞれのスタンスの違いが明瞭に見受けられる。いずれにしても、一研究者としては、有意義な実践をもって、IIIF基準の普及に力を添えたいと思う。

2017年8月19日土曜日

CAJLE2017

この週の半分程度の時間は、CAJLE(カナダ日本語教育振興会)年次大会への参加に当てた。今度はホスト大学の役が廻ってきて、小さな所帯の日本語プログラムの教員や学生代表は、ほとんど総出での関わり様であり、わたしもサポートに走り回った。一方では、日本語教育の学会からはなぜか遠のいてしまい、久
しぶりにいろいろな発表を聞いて、大いに勉強になった。

研究発表のテーマは、じつに広い範囲を及び、問題提起の着想も、そしてアプローチの多様性も、教示に富むものが多かった。大会プログラムを閉じたまま、記憶に残ったものをランダムに書き出してみても、つぎのようなものがあった。外国語としての日本語教育における言語の規範主義への認識、そしてこれにかかわる母語話者の立ち位置、それの権威と盲点、日本語学習者の三タイプ(言語オタク、社交、アニメ)、日本語学習者の動機分類、語学とスポーツとの関係、アニメキャラなどの話し方とそれが日本語学習者に与える刺激、日本語における略語の成り立ち、などなど。なお、この学会の伝統として、いつも複数のワークショップを併設して、教育者としての会員たちの自覚向上や情報交換に努めている。今年のそれには、ペアになって互いに謝ったり、愛を言ったりするような芝居をさせて言葉への再認識を呼び起こし、あるいはインパクトのある言葉や身体言語の誤用例を説明するなど、さながら教室風景を再現したものだった。

テーマは語学教育ということから、教室活動を具体的に紹介し、あるいはそのような活動をうけての学生たちの反応を集め、しかもさっそく数値化して報告するような発表は多かった。言葉を習う学生と実際に接し、その学生たちの成長は目に見えて分かるものだから、このような実践的な議論が自然と関心を集めるようになったのだろう。研究分野が違うと、研究のアプローチがこうも違ってくることを、あらためて確認した気がした。

CAJLE 2017

2017年8月12日土曜日

OMATSURI

地元では、日本をテーマとした祭りを行い、今年はすでに七回目と数えた。年ごとに参加者が増え、すっかり定着してきた。今年のそれは、土曜日の今日。良い天気にもめぐまれ、週末の他の予定などを調整しながら、午後遅くなって駆けつけた。

予想はしていたが、知人、友人に加えて、やはり学生が多かった。すでに卒業して何年も経った人々、いまもクラスに通っている人々など、しかも出店でボランティアをしたりして、ホスト側に身を置いている。会場に入ったらさっそくこれから一年の留学が予定されている一人の学生に呼び止められ、秋からの日程などについての詳細をあれこれと教えてくれた。話の内容よりも、情熱と期待にはかなりのものがあった。内容豊かな売店に加え、特設ステージでのイベントや出し物、碁や生花の実演や即席クラス、地元での大掛かりな行事の録画放映など、内容は盛りだくさんだった。いつもながらさっそくカメラを構えてみたが、遠く眺めるダウンタウンのビル群をバックにした鳥居や鯉のぼりなど、やはり情調があった。

会場を離れようと再び鳥居の前で足を止めたら、シャッタを頼まれ、軽く会話を交わした。なんと二年前に担当のクラスを通った学生だったとのことが分かった。しかも、夏には京都旅行をし、クラスで教わった知識が大いに利用できたと、こちらも熱心に教えてくれた。教師としてはやはり最高に報われる時間である。

Calgary Japanese Festival “Omatsuri”

2017年8月5日土曜日

DH2017

「DH(デジタル人文学)」と名乗るかなり大きな学会でのポスター発表は、8日と予定されている。第一作者の永崎さんの好意により、わたしも名前を加えさせていただいているが、実際に関わったのはごく小さな一部分にすぎない。そのため、会場に駆けつけることはなく、遠くから応援することにしている。

具体的な作業は、一年前に行った。デジタル画像データを共有する強力なスタンダードとしてIIIF(International Image Interoperability Framework、国際画像共同利用ネットワーク)が脚光を浴び、高精細画像の閲覧や画像内部についての追加情報のプロトコルがようやく統一が見られるようになった。そこで、文字情報の追加、表示の可能性を探るべく、奈良絵本の変体仮名表記に電子テキストを添え、かつそれぞれ一行ずつの対応関係に関する位置情報を書き出した。「アノテーション」という名の機能をフルに活かしたものである。これに、永崎さんは縦書き表記とマウス移動に合わせてのテキスト表示の機能をビュアーに付け加えた。マウスの移動に合わせて変体仮名に対応するテキストを表示する機能は、だいぶ前、CD-ROMの形で出版した「kanaCLASSIC」(1999年)にすでに試みたものだが、あのころに対して、いまはオンラインの環境でスムーズに実現できて、大きな進歩と言わなければならない。

一方では、画像への電子テキスト情報の追加は、あくまでも手動で実現したのである。これに対して、自動読み取りというまったく異なるアプローチも試みられている(「くずし字OCR」)。マニュアル作業の限界、そして自動化の未来がどのような形で訪れてくるものなのか、大きな関心をもって、慎重に見守りたい。

Digital Humanities 2017 (ポスター要旨

2017年7月29日土曜日

奉懸之儀

あの「餓鬼草紙」に描かれた出産の場面は、あまりにも生々しく、繰り返し語られるものである。絵巻に伝わる生まれの瞬間は、この構図を起点としてビジュアル表現の基本テーマの一つを構成し、長く受け継がれてきた。一方では、出産の実態が移り変わるなか、このような画像に登場したさまざまな様相についての言葉そのものでさえ、いまは慎重に追跡をしなければならなくなった。

ここでは、しばらくは産婦を囲む複数の女性たちの行動、今日に言う広い意味の「助産」を伝える言葉を考えてみよう。『中世の愛と従属』(1986年)は、『枕草子』にみる「腹などとる女」、『とはずがたり』にみる「後ろの方へ立ち寄る」、「腰とかやを抱く」などの用例を紹介しながらも、現代の言葉としてより伝わると思わる「後ろ抱き」をもって議論を進めた。「腹を取る」、「腰を抱く」とは、どこまで平安や鎌倉時代の用語として定着していたのだろうか。この問いに答えようとさらに日記類などに目を移してみた。さしあたり西園寺公衡(1264ー1315)の日記である『昭訓門院御産愚記』を披いたら、「奉抱御腰」という表現は繰り返し用いられたのが目に入り、『とはずがたり』と符合して合点した。さらに読めば、なんと産婦の手を握ってあげる(「奉取御手」)役目の女性まで用意され、ここでは産婦の妹がそれに当たった。しかも目を瞠るところに、この役目への書き入れが施され、「所謂奉懸之儀也」とあった。

「奉懸」の意味は、「懸けてさしあげる」とでも考えるべきだろうか。同時代の古記録などを検索してみれば、この言葉はかなり使われ、しかもその使用範囲は広く、曼荼羅や権現の神像から蚊屋、簾までさまざまあった。ただ出産にかかわる用例にはいまだ知らない。そもそも二人の人間に関わる動作において、どうやって「かける」ことができたのだろうか。難解である。

「餓鬼草紙」(第二段より


2017年7月22日土曜日

声の古典

ネット環境を利用した遠隔の授業を今年もさせてもらった。大学新入生が中心になる、総勢二百名に近いクラスを対象にしたもので、テーマは自由に決めてよしとの配慮を受け、「声の古典」と掲げた。古典を眺めるにあたっての声に焦点を当て、比較対象に引っ張ってくるのは、おのずと文字となる。音読、黙読といった議論もごく簡略に触れてみた。研究のテーマとして基本的なものだが、若い人々にとっては、常識には程遠く、体感を持たない抽象的なものに過ぎないのではないかと、少なからずの心配を抱えていた。

いつもながら、ゲスト講義の楽しみは学生たちとの対話である。今度の授業もほぼ三分の一ぐらいの時間をそれに割き、さまざまな質問が飛び出してきた。「文字で書かれた文章が声を出して読まれていたことはどこまで、どうやって証明できるのか」、「身分の高い貴人なら文字を知っていたはずだから、どうして読み聞かせをする必要があったのか」など、講義の主旨に沿った鋭い質問が投げかけられた。これに留まらず、今日の生活の中での声の使い方も披露され、受験勉強で利用してきた「キクタン」(英単語学習アプリ)や「世界史実況中継」(歴史補助教材)などのタイトルはどれも新鮮だった。さらに議論はメディアとしての絵に及び、漫画の構成要素である擬声語擬態語の表記を、はたして文字、音、絵のどれに近い形で受け止めているのかとクラス全員に質問し、即席のアンケートを試みた。その結果、ほぼゼロ、七、三との結果が戻ってきて、大いに考えさせられるものだった。

世の中はどんどん移り変わり、いま大学に通っている若者たちは、いわゆるデジタル・ネイティブの世代になる。ならば、メディアの利用や、情報吸収と交流のあり方を考えるには、声というのは一つのおおきな手がかりになるのかもしれない。

2017年7月16日日曜日

「影」の使われ方

「十訓抄」を読んでみたら、つぎのような短いエピソードに目を惹かれた。

有国は伴大納言の後身なり。伊豆の国にかの大納言の影をとどむ。有国が容貌、さらにたがはず。(1-32)

話の主人公は、藤原有国。この人の普通ではないところは、あの伴大納言善男の生まれ変わりという噂をもっていたことである。善男と言えば、応天門炎上の張本人であり、しかもその結末は伊豆の国への流罪だから、そこにかれの影、すなわち肖像画が伝わったことは、自然ななりゆきだった。しかしながら、そのような絵画は、この世を去った人間への思いを託すだけではなく、なんとその人が生まれ変わったことへの証拠となり、しかもこの世に行きた人に明白に繋がるツールにまでなった。一枚の絵の効力に驚くほかはない。

特定の人間の姿を留めるための肖像はどのように作成されたのか、これ自体を伝える絵巻の一場面がある。弘法大師が、弟子が描いた師の肖像にみずから筆を取って開眼を加えた様子を記したものである(「弘法大師行状絵詞」巻十第三段)。あわせて眺めると、なんとも味わい深い。

2017年7月9日日曜日

手紙の姿

一年以上まえの古いニュースである。まず、興味があればこのCNBCニュースをクリックしてみてください。一枚の絵の紹介ではなく、絵を眺める人(この場合はかなりの有名人)の視線と機敏がキモになるものである。話題性があって、知的で楽しい。同じニュースを敷衍した記事もあり、かつ日本語に訳されている

有名人の遊びに付き合い、記事にあったように、同じ絵からはさらに自撮り棒やらイヤホンやらを探し出すのも一興だろう。一方では、絵が表現しようとするテーマをそのまま素直に見つめるのも、刺激的だ。手紙という、人々の交流の基本形。この絵には、350年も時間の隔たりを感じさせない生き生きしたものがある。手紙の本体はすでに披かれ、女性の膝の上に置かれ、繰り返し読み返されたあとのことだろう。対して男性の手の中に握られたのは、手紙に添えられたカードのようなものではなかろうか。となればタイトルにあった一方向の手渡しよりも、男女がともに手紙を読み、これを語り合う状況となる。こうなれば、玄関という空間、立ち位置や服装から見る男女の間柄、そして子どもやペット意味合い、一つ一つ気になる。日本風に言えば世俗風景を明らかにするためには、画面を産んだ時代や生活の知識が読む人を無限に誘っている。

この絵に惹かれる理由は、いうまでもなく「絵師草紙」のあの有名な場面があるからだ。玄関と縁側とはまずしっかりと対応している。しかもいままさに送られた人の手に届かれようとしているという絵師の構図は、この絵のタイトルにこそ合致し、さしずめ「家の縁側で主人に手紙を渡す男」と命名したくなる。手紙の姿、そしてその授与のあり方は、意外と共通の関心を集める大事なテーマだ。

家の玄関で女に手紙を渡す男

2017年7月1日土曜日

カナダ・ディ

ハッピー・カナダ・ディ。

いつもながら、真夏のいまごろは、仕事の合間の休みの時期と重なる。それもあって、カナダ・ディに近くの観光地までドライブすることがいつの間にかささやかな習慣となった(2010年2016年)。今日も昼過ぎに出発し、なんのアテもなく歩き回り、そして山間に打ち上げられる短い花火を満喫して真夜中の高速を走り抜けて帰宅した。今年も後半に突入することになる。

毎年恒例の地元のパレードは、150週年だけなのかどうか不明だが、昼ごろに移動され、見られなかった。国立公園の入口でそれを知らされてちょっとがっかりしたが、車を降りて町中へ歩いていくと、パレート現物に集まるような勢いで人々は動いている。きっと観光客に貸し出されたと思われる普通の住宅からも、陽気な音楽が響く。町の中心街は、大きな賑わいだ。とりわけアジアの言語ではないドイツ、イタリア、ロシアなどのヨーロッパの人々の会話はいたるところに聞こえてくる。二人以上の子どもを連れた家族、大きな声で興奮気味に話しあう高校生、そしてレストランの半分の席を構える中国大陸からのツアーグループなど、見慣れた様子の中にもしっかりと新しいものが入っている。

今年の記憶には、国旗を身に纏い、颯爽と横断する若者たちの姿をあげておこう。例年よりも多くてなんとも印象的だ。日本の国旗を思い出してみれば、スケートや陸上競技などで見かけられるようになったあの誇らしい姿に共通するものだ。出会う度に、若々しいカナダの風景だとつい見入ってしまう。

2017年6月24日土曜日

小動画

「小動画」とでも呼ぼうか。今時のFacebookやTwitterなどに頻繁に見られるあれだ。画面に映し出されたら動き出し、クリックすれば音も響いてくる。呼び名はどうやらまだまだ定まらない。ショート動画とも、ショートムービーとも、言えないことはない。料理などのノウハウもの、新製品の広告、そしてスマホに収まった個人的な生活記録。写真が多用されても、スライドショーでは捉えきれない。

このような動く画像を絵巻鑑賞に利用したい。静止画と動画との間に根本的な違いはあるが、そのギャップは考えようによれば逆に面白い。こう思いついて、印象に残る琵琶法師の画面を開いた。鳥居の下に、様々な人々に囲まれたあの場面だ(『直幹申文絵詞』)。このようなアプローチに、絵巻の模本はコミカルでより魅力的だ。動画作成にはツールが必要だ。スマホのアプリからオンラインの専用サイトなど、かなりの数のものが出回っている。想像した視覚効果の実現や目指す機能の使いやすさなど、ゆっくり比較するのも一つの課題だが、いまはそこまで気を使う余裕がない。とりあえず勝手の分かっているMovie Makerを用いた。出来上がったのは、なんとも素朴な試験作だ。

動画と名乗る以上、テキストや音声ぐらいは期待されている。一方では、絵巻を対象とするなら、なんらかのルールを設けておかなければ始まらない。完成されたものとしての絵巻へのリスペクトから、複数の作品あるいは複数の場面を組み合わせることをしないということにしよう。描かれた画面への視線誘導、一つの読み方としての視線移動の再現、絵巻鑑賞を語るときの基本課題に結びつきたい。いうまでもなく鑑賞の表現なので、繰り返して試み、可能ならいろいろな読者の手によって作成されるべきだ。

「琵琶法師がやってきた!」

2017年6月17日土曜日

デジタル時代の風景

仕事としての日本滞在が終わり、中国への短い帰省をした。久しぶりだ。いつもながら日常と人々の暮らし方の激変にしみじみと見入ってしまう。今度のそのような観察は、とりわけデジタル環境の発展に伴うさまざまなものに関連して印象深いものが多かった。

いろいろな報道で伝えられているように、デジタル環境の普及にはとにかく目を見張るものばかりだ。インターネットの普及の勢いは凄まじい。公共空間などは言うを待たず、空港バスの中でも無料のWiFiが当たり前のように提供されていて、しかもどれもスピードが早くて、安定している。プリペイドの使い捨てSIMカードは、僅かな金額ですぐにでも電話とデータの両方が使えるようになり、それを販売しているのは住宅地域の中のまったく目立たない小さな店だった。キャッシュレスのやりとりは行き渡り、予想もしないところにバーコードがなにげなく掲げられている。これをあたりまえのように使いこなしている人、用心して使おうとしない人、そして頑として拒絶する人、さまざまな立場からの熱をこもった弁舌が聞けたのも興味深い。北米や日本でスタンダートになったインターネットサービスには、かなりの範囲においてアクセスできないことは、伝えられている通りだ。ただ、海外もののサービスの内容は、ほぼすべて中国国内のサービスをもって「置き換え」られており、保存、共有、共同作業など、やろうとすることはたいてい実現できて、質もけっして見劣りはしないことに、妙に感心させられるぐらいだ。ただ、海外との交流は大きな断絶が起きていることはけっして見過ごせない。この事実への対応はそう遠くない将来図られるものではないかと、楽観的だが、個人的に見立てている。

SIMカード購入のときのことはちょっと忘れられない。身分を証明する書類の提出を要求され、かつコピーが取られることは、予想内のことだった。しかしながら、それには留まらず、なんと本人であることを記録するために、書類を顔の近くに持ち上げさせられ、顔写真が撮られるものだった。未知な要素が多いデジタル環境での個人の権利や気持ちなどへの配慮よりも、あくまでも明確に、効果的に管理するというスタンスを前面に押し出すという発想を、あらためて認識させられた思いだった。


2017年6月10日土曜日

撮影する歌舞伎

学生たちの語学研修が終盤に入ったら、いつも楽しいハイライトが用意されている。国立劇場における歌舞伎鑑賞教室と名乗演目を観劇するものだ。今年も、劇場を埋め尽くす大勢の中学生、高校生とともに、英語を遠慮なく大きな声で会話するカナダ人の大学生が加わった。語学の能力を明らかに超えるものに直面するのだが、それでも大いに楽しめたと見られる。

舞台上には、興味深い一時があった。最初の三十分ほど、鑑賞への入門ガイドだった。巨大な廻り舞台、様式に則った立ち回り、拍手喝采を得た白頭の舞など、あとからあとから歌舞伎の基本がテンポよく展開された。そこへ、最後の特別サービスとして、観客全員はそれぞれカメラを持ち出すことを勧められた。舞台上でポーズを取りながらその様子を写真に納めて、そして各自のSNSにアップロードするようにと言われた。この演出は、満場の若者に明らかに受けられ、大きな歓声の中、俳優はシャッターとフラッシュに包まれた。まさにレンズを通して味わう感動だった。今時の若者は、その場にいない友人との交流やデジタルによる記憶にスマホのカメラをまるで自分の体のいち部分のように操っている。そのようなかれらに混じり、右の一枚も、自分にとってのよい記録になった。

歌舞伎と言えば、写真や動画によって接する機会はけっして少なくはない。一方では、普通の観客として劇場に入ったら、カメラとはまさに無縁な存在となってしまう。その理由は、いろいろと考えられよう。だが、撮影だって一つの観客と舞台との交流の方法であり、カメラを通しての参加は、たとえ短い一瞬にせよ、確実な喜びとなっている。大いに参考になる試みだと言わなければならない。

歌舞伎十八番の内・毛抜

2017年6月4日日曜日

豚を料理

大きな美術館の常設展には、さまざまなユニークな魅力を持っている。個人的にその一つは、写真撮影可能というものだ。(「展覧会で広がる”写真撮影OK”その裏側とは」)多くの資料は、すでにデジタルの形で利用できるようになったと知っていても、やはりカメラを構えてみたくなる。自分のレンズを通したら、なぜか落ち着きを覚え、作品との距離が近くなる。週末に自由の時間に恵まれ、東博を訪ねた。

今度も、あれこれじっくりと見て回った。絵巻関連では、あの「綱絵巻」が全巻広がる形で展示されていて、人に囲まれることなく気が済むまでゆっくり見れた。国宝館には、年間の展示予定が掲げられ、あの「一遍聖絵」が九月に登場してくる予定だ。一方では、アジア館は、やはり素晴らしい。とりわけ中国の画像石の展示にはとても充実なものがあった。なかでも、料理関連の場面は、いくつも集められている。つねに関心をもつテーマであり、すっかり見入った。たとえば右に掲げる豚と、これに取り掛かる男の姿は、なんとも印象的だ。(画像石・酒宴/厨房、TJ-2030)男の右手は包丁を握り、高々と力強く振り上げられている。説明の文にあったように、料理の前段階としての、豚解体に取り掛かったところだろう。生き生きとした状況を伝えるにはシンプルな線しかないが、それが確実でいて味わい深い。画面をよくよく眺めてみれば、料理師の突き出す気味のお腹は微笑ましい。二千年前のメタボ男は、その歳と貫禄を遺憾なく今日に訴えている。

豚料理の隣に描かれたのは、天井に吊るされた魚と、酒の醸造。料理法、料理の環境、料理その行動の意味や位置付けなどもろもろの課題についてきわめて示唆が多く、語られ甲斐のあるものに違いない。ただ、誇張されたタッチで伝えられたものは、おそらく写実の対極的なところに位置するものだろう。画像が分かりやすい分、この事実を見落としたり、見逃したりすることへの警戒を忘れてはならない。

2017年5月27日土曜日

漢への視線

今度の東京滞在も、あっという間に後半に突入した。この週末、学生たちはホームビジット。すこしばかりの自由の時間を手に入れて、学会の集まりを覗いてみることにした。そこは、東京。いまの時期では、どうやら体がいくつあっても足らないぐらいだ。週末にかけての「学会はしご」という贅沢な時間となった。

土曜日に参加したのは、中古文学会。非会員であるが、まったく隔たりなく参加させてもらえた。資料を購入して会場に入り、第一印象は、参加者の数と、大学院生と思われる若者の多いことだった。学会のテーマは、漢文学。パネリストたちが取り上げ、そして真剣に議論を交わしたのは、吟詠、句題詩、皇后、そして薫物といった、それぞれにおいてユニークにして、鋭く時代の様相に切り込むようなキーワードだった。平安時代の漢文学といえば、かつて個人的も大きく関心をもつ分野の一つのはずだったが、いまやただただ学問の進歩を実際にこの目で確認する程度のことしかできず、同じ分野でも、自分の知識の範疇ではとっくに捉えられないものになったと実感した。

中古の文学となれば、中世のそれと比べて、とにかく規模が大きい。そしてこの事実への一つの具体的な対応だろうか、学会のパネルには、たっぷりと議論の時間を用意してあげても、たとえ議論がやや繰り返し気味になっても、フロアからの質問を事前の記入式に限るものとした。加熱な議論に参加できないことに、聴講者たちははたしてどう感じたのだろうか。

2017年5月21日日曜日

斬首の場

「平家物語」の絵を取り上げた小さない論考を収録した論文集が一年半ほど前に公刊し、ここでも報告した(「盛久の奇跡」)。そのあと、論文集の論考を一篇ずつ丁寧に触れたレビューが二篇も書かれ、公開された(Eisenstein氏Chance氏)。いうまでもなく、個人的にこのテーマについての関心が消え去ることはなく、作例の存在をつねに期待と不安をもって蒐集してきた。

その中で、思わぬ形でユニークな一例を知り、ここに書き留めておきたい。慶應義塾大学斯道文庫「平治物語(存巻8)」(センチュリー文化財団寄託資料)の中の一場面である。この構図の特異さは、簡略に述べればつぎの通りである。これまで見てきた(したがって上記の論考で取り上げたもの)は、ほとんどの場合、処刑されようとする人間にスポットライトを与えている。多くの場合、処刑の場を象徴し、読者にそれを明確に伝える役割を果たすのは一枚の敷き革、対して、その上に座らされた罪人にはなんらかの形で特別な行動を取らせて、それをもって構図の特異化を図ろうとするものだ。その普通ではない行動とは、たとえば辞世の句を書き留めたり、事情が理解できなく子供が周りと会話をしようとしたり、ひいては運命を受け入れられずに最後のもがきを試みたりするものである。それらの構図に対して、目の前の場面は、罪人の周りの人間の配置に異様な展開を与えた。それは、処刑への指示、死を悲しむ泣きわめき、あるいは熱心な見物といった繰り返される人間像ではなく、太刀取りの行動に呼応して、刀を抜き出す複数の侍の姿だった。ただ、これらの侍は、首斬りに取り掛かろうとする太刀取りに敵対するものだとは考えられないので、かれらの存在の理由や、伝えようとする情報は、正直、いまはなかなか理解できない。

上記の写真は、一年半前の展示カタログから取り出したものである。二日まえ、斯道文庫の佐々木孝浩先生のご厚意により、同絵巻を拝見できた。短い日本滞在の間、最高のおもてなしを受け、ここに心よりの感謝を記す。

元和偃武400年太平の美─書物に見る江戸前期の文化─

2017年5月13日土曜日

蛇人間

語学研修の学生たちを連れて短い東京滞在を始めた。この春は、古典画像テーマの展示はいくつも行われている。中でも企画される段階から話を聞いていた「絵巻マニア列伝」にはずっと関心を持ち続けてきた。最初の自由時間になってさっそく駆けつけ、終了前日に滑り込みの形でじっくり鑑賞することができた。

思いに残ったものはとても多い。ここに画面を見つめての記憶の一つを記しておきたい。近年、いささか話題になった「地蔵堂草紙絵巻」をはじめて目にした。ストーリとしては、竜宮での良い思い出が人間の世に戻ったら体全体が蛇になったという、奇想天外を滑稽談にするような、愉快なものだった。とりわけビジュアルに表現される蛇人間の姿に驚きを覚えた。かつて短く書き記したものだが、蛇になった人間といえば、頭が人間で体が蛇、あるいはその反対の体が人間で頭が蛇という二つのシナリオしか考えに上がらなかった(「人面蛇身」)。そんなところに、と三番目の構図が目の前にあった。いわば蛇に身を載せた人間で、二者が分かれられずに一体になったというものである。そもそも非日常的な様子を限られた画像空間に取り入れようとすれば、ここまで苦労が多い。

展示会の眼目は、いうまでもなく「マニア」という一言に尽きる。違う時代の代表格のビッグネームに焦点を絞り、貴族日記を紐解いて、読み下しと現代語訳を添えての構想は、とても魅力的だ。いっぽうでは、会場からも分かるように、普段の人々と古日記との距離は、さすがに簡単に埋められるものではない。ビジュアル資料を対象にしているだけに、ほかになにかもっと伝わるアプローチがないものかと、ついつい思いめぐらしたものだった。

絵巻マニア列伝(展示構成)

2017年5月7日日曜日

平成縁起絵巻

勤務校では、二年一度の個人業績報告を提出する時期になっている。あれこれとデータを確認したりしているうちに、二年前の新聞ならぬ旧聞にたどり着いた。リアルタイムに気づいていなかった。絵巻は、比喩的な使われ方に留まらず、いまだ古来そのままの用途を果たしていることに感動を覚えたぐらいだった。

オリジナル絵巻を清水寺が制作した。絵巻の全容は、すぐには分からない。展覧会の形で実物を公開していたとのことだが、あるいはいつか書籍の形にでもなるのだろうか。全容を知りたい。これを紹介するテレビ番組がスポットを与えたのには、戦乱の歴史をくぐり抜けた歴史や、近辺の人々の日常に溶け込む姿などに加えて、とりわけ鳥辺野や観音桜があった。人間の死を直視し、それを通しての生への思いや記憶を形にすることは、間違いなく清水寺の大きな側面だ。一方では、たとえば今日の暮らしの中で、清水寺の舞台が全国的に知られるのは、むしろあの「今年の漢字」披露の風景ではないだろうか。まさに日本的な風物詩の重要な一コマであり、はたしてこの平成絵巻に取り入れられているのだろうか。

さまざまな理由から、テレビ番組は、たとえ二年まえのものでもそのままの公開はしていない。ただ、文字起こしの形で読ませてくれていることは、なんともありがたい。対して、このような性格の絵巻は、それ自体の価値を増やすためにでも、秘して見せないのではなく、デジタルなどの形で広く公開すべきだろう。そのような動きがいまだ見られないのは、いささか残念と言わざるをえない。

絵巻がひもとく清水寺

2017年4月30日日曜日

文字化け

いまさらすぐには信じられないことだが、個人サイトには、突然文字化けが起こった。いくつかの纏めて作ったセットは一斉に読めなくなり、すっかり慌てた。一通り対応は出来たが、環境について大いに考えさせられる経験となり、とりあえず経緯だけここに書き留めておく。

まず妙な現象はこうだ。文字化けで一文字も読めない。これまでならブラウザの文字コードを調整すれば簡単に戻ってくるものだが、今度はどうも全然違う。そもそも文字コードを調整する機能そのものはブラウザから消えてしまった。どこに原因があるかと、違うブラウザ、違うOS、違うデバイスなど、順番に試してみたのだが、なんとどれも結果は同じだ。調べたら、ブラウザ側の公式見解としては、文字コードに関しての自動識別が十分できるようになったので、利用されない機能として削除されたとか。読めないならページの作者に変えるように要求するという、じつに理不尽なものだ。現にいままで識別できたものが出来ていないのだから、ページ作者の責任だと言われても困る。しかしそのような文句が通じる事情でもないので、自分で対応せざるをえない。

答えに辿りつくまでは、言葉通りの手探りで、苦労した。読めないページの中身を覗いたら、文字セットについて「charset=shift_jis」と指定してある。これをどうやら「utf-8」にすべきようだが、手動で変えても解決はできない。くりかえし試した結果、FrontPageでページプロパティを開き、言語のところで「utf-8」と指定すれば、奇跡的に文字が戻ってきた。ほっとすると同時に、仕事の量に嘆く。とりあえずは、気づいたセットになっているもので、数百のもののやり直しをせざるをえない。いまだこの単純な作業を黙々と続いている。

たしかにもうすこしサイト構築の知識があれば、まとまりのあるファイルの管理をすべて一元化し、そこから全体を仕切るべきだという理屈は分かる。百単位でファイルを作っていて、かつすこしずつ増やしていくような作業では、そのような対応はついつい手抜きになった。自分が反省しなければならない。しかしながら、はっきりと指定してある文字コードでも、ある日とつぜん読めなくなったといったような環境の変化は、どう考えても解せない。末恐ろしい。

2017年4月22日土曜日

陣中の露店

屏風絵の読み方というようなものはきっとあると思う。ただ、なかなか分からない。たしかに絵巻の流れを汲み、場合によっては絵巻そのものの構図までこっそり拝借したような作品まで作成されていた(「保元平治物語屏風」「帝鑑図・咸陽宮図屏風」など)。ただやはり特殊な作例にすぎない。対して名所絵、合戦絵などとなれば、はっきりした物語が添えられていない分、どうしてもとっつきにくい。

たとえばつぎの一コマである。「大阪冬の陣図屏風」(大阪城天守閣蔵)右隻一扇に描かれ、「陣中の露店」とでも名付けてよかろう。陣笠を被り、胴丸や鎧を纏い、太刀や槍を構えた若武者たちは、戦場を走り回るそのままの格好である。一方、そのような彼らを相手に熟練にあしらえているのは、余裕綽々の店主であり、後ろに張り巡らした幕により、専用の空間が作り出されている。しかも店と客との関係を強調しようと、わざわざ値を払う様子がクローズアップされ、一種の貨幣経済の様態まで活写されている。特定のストーリがない中、絵画表現は饒舌なほど状況の詳細を伝えようと訴えている。

しかしながら、このような構図をもって、大阪の陣の様子をそのまま理解してはたして構わないだろうか。「今昔物語」に収められた蛇の肉を太刀帯に売り歩くあのエピソードはすぐに思い出される。ただ、万人単位に集まった戦場において、このような状況の存在はあまりにも想像できない。はたして日常と非日常が融合された戦場風景の極致だろうか、はたまた絵をもって虚構された理想あるいは遊びの空言だろうか。

2017年4月15日土曜日

日本古典籍総合目録DB

年度終わりに合わせて、一つの小さなプロジェクトを完了させ、最後の作業として数十点の絵巻についての書誌データを整理した。これには、国文学研究資料館が運営している「日本古典籍総合目録DB」がなによりも頼もしい。日進月歩に進化するデジタル情報にまで一部対応しているのだから、一研究者としては、つねに感謝の念を抱いている。一方では、利用すれば不備などにも気づくようになるもので、備忘に三点ほど記しておきたい。

書名などの検索は、リソースの性格上、流行りのあいまい検索には対応していない。ただ、古典書籍の常として、複数の題名で伝わるものが多い。それについて、多くの場合「別書名」や「国書所在」に収録されている書名が対象となっているが、そうではない場合もあって、不安が絶えない(例:「奈与竹物語絵巻」)。

古典籍の存在に止まらず、それの所在まで対象にしているこのデータベースは、したがって所在の変遷が大きな課題になる。書籍媒体なら、読者として自ずから情報への期待が明確になるものだが、デジタルものになると、利用の方針に漠然の揺れが伴う(例:「男衾三郎絵詞」、「結城合戦絵詞」)。なお、国立歴史民俗博物館所蔵のものはなぜか複数の実例において収録されていない。行政組織の近隣性と考えあわせて、首を傾げる。

デジタル情報への対応は、おそらくこれからも日に日に大きな比重を占め、重要な課題となるだろう。公開されているものが対象にならないことなら、いずれそのうち収録されるに違いないという期待から、まだ理解があるのだろう。しかしながら、公開元の変化にどこまで対応するかは、真剣に取り掛かかるべきだ。一例として、筑波大学図書館所蔵の貴重書デジタル公開へのリンクは、いずれも白黒の古いバージョンのものである。高精細画像での公開はすでに三年以上続いていることから考えると、更新の方針など、はっきりしたものにしなければならない。

言うまでもなく、同データベースの母体は、あの『国書総目録』である。学生時代、あるクラスメートがこれを購入したのを聞いて、個人の書斎にこれを持ち込むことの経済的、空間的な余裕を想像して、すっかり驚いた記憶はいまなお鮮明に残っている。古典籍の所在を記す紙媒体特有の洗練された文体は、けっして親切だとは言えないが、その不思議な魅力をいまなお褪せない。

2017年4月8日土曜日

くずし字OCR

今週、伝わってきたニュースの一つには、慶応大学所蔵の奈良絵本のデジタル公開があった。公開の日付は4月6日、同大学のメディアセンター(図書館)所蔵の貴重書が一気に同時アクセス出来るようになり、中でもとりわけ「奈良絵本コレクション」がリストアップされている。サイトの解説には「50点あまり」とあるが、数えてみれば、あわせて110冊/巻、62タイトルである。大いに歓迎し、喜ぶべきことである。

この公開の中で、一際目を惹いたのは、単なるデジタル画像に止まらず、公開作品の一部だが、変体仮名全文に電子テキストが添えられていることである。解説では、これを「透明テキスト付PDF」と呼び、しかも「くずし字OCR(凸版印刷)の技術」によるものだと明記している。OCR(自動文字認識)は、ここにようやくと大型古典文献の公開に加わることになった。記念すべき大きな一歩である。

くずし字OCRについて、これまでずっと関心を抱いている(自動変換)。今度の公開についての詳細は、いずれ開発者やサイト構築関係者が正式に公表してくれるものだと想像している。そのような記述を待ちながら、ここに一読者としての観察を記しておきたい。

公開された奈良絵本は、どれもPDFファイルと高精細画像という二つの表示方法が用意され、ただ透明テキストが付いているものとそうでないものの区別は、特別に明記されていない。なんらかの公開方法による考慮からだろうか、ほぼ半分ぐらいのタイトルはPDFファイルにおいて白黒の画像だけ用いられ、それには電子テキストが添えられていない。一方では、電子テキストありのファイルとなれば、画面上をマウスで任意の行などを選ぶと、文字単位に付け加えられ、サイズや配置が違う枠が現われ、その分の文字をコピーしたり、貼り付けしたりすることができるようになっている。変体仮名で記された画像がいまやスタンダードなパソコン処理に対応してくれることには、少なからずの興奮を覚えざるをえない。

この電子テキストは、どこまでOCR技術に頼っているか、すぐには不明だが、かなりの精度をもつものであり、慎重な編集、校正のプロセスを経たと思われる。極端な実例を上げれば、「雨わかみこ」にみるシミが付いている文字(No.14終わりから5行目)、枠から完全に外れた文字(No.10終わりから3行目)などは正しく表記されている。それから、「もんしゆ姫」にみる「州」(No.9、5行目)、「森」(No.17、終わりから3行目)、「雪」(No.23終わりから3行目)などの異体字や癖のある書き方は、OCR認識に対応されているとは考えにくい。対して、二文字分の踊り字の表記は、電子テキストにおいてつねに悩ましい問題だが、ここではすべて「く」としている。混乱を招きかねない解決法であり、せめて「ゝゝ」か「々々」としてほしいものである。

「慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション」は、大きな資料群の電子化と共に、新たな基準を示している。このブログでも、さっそく「注釈付き奈良絵本研究書デジタル底本」の内容を更新した。

奈良絵本コレクション(慶應義塾大学)

2017年4月1日土曜日

地名をめぐるビジュアル記憶

あらためて言うまでもないが、日本の古典の中に「道行き」と呼ばれる集約された文学表現あるいは文体が存在し、きわめてユニークな光景を形成している。同じ読み方を借りて画像資料のほうに目を向ければ、似たような審美感覚は絵巻の画面においても認められると考えられよう。

絵巻を読んでいくと、日本中の東西南北の地はじつに多く登場している。無造作に取り上げてみても、たとえば、すぐつぎのようなリストが浮かんでくる。「一遍聖絵」にみる洛中の四条京極釈迦堂(巻七第二十七段)、伊豆の三嶋(巻六第廿二段)、「西行法師行状絵巻」にみる四天王寺の江口(巻二第七段)、洛外の北白川(巻三第四段)、「頬焼阿弥陀縁起」に見る鎌倉の岩蔵寺(上巻第一段)、相模の大磯(下巻第五段)、「箱根権現縁起」にみる箱根大社(第十一段)、「真如堂縁起」にみる真如堂(下巻第三、四、五段)、などなど。ここに一つの明確な方向性がすぐ読み取れる。すなわち、雲遊する修行僧の伝記、功徳や霊験が記される社寺縁起、そして記憶されるべき大事件をテーマとするものは、まずは特定の空間の記述と結びつくものである。絵巻の表現からにして、どのような場についても、具体的な地理、地形についての記述を十分に残してくれることはないだろう。しかしながら、そのような不完全性の代わりに、ときにはそれを上回るほど、遠い昔の人々がもつその土地についての心のイメージが鮮明に描き込まれている。写真にみる北白川の清流は、まさに中の一好例だろう。

ずいぶん前のことだが、地図を専門とする研究者との会話のなかで、地図の抽象性について指摘されて、はっとした瞬間は忘れられない。地名をめぐるビジュアル記憶も、一種の抽象的なものだろう。地名も、そして物理的な地形も、変化を続けるものであるが、それに対する空間的な記憶は、抽象的だけに、より大事にされるべきものだろう。

2017年3月25日土曜日

絵を詠む西行

遠い昔、絵はどのように愉しまれていたのか、ずっと深い関心をもつテーマである。さまざまな人間の、多岐多彩な時や場における絵鑑賞の記録は、無数にあるようでいて、どれも断片的なものばかりである。なかでも、絵に描かれた絵の鑑賞となれば、まずは間違いなく限られている。ただ、西行にまつわる記述は特筆すべきものだと記憶しておきたい。

「西行物語絵巻」第一段に記される経緯は、およそつぎの通りである。新たに作製された一連の障子絵を披露して、鳥羽院が名高い知識人たちを一堂に集め、歌を詠ませた。その席に、身分としては遥かに低い義清にまで同じ機会を与え、そして献上された歌は、群を抜いて素晴らしいものだった。文武に長ける若き日の西行の身の上を語る伝説的なエピソードである。この様子を伝えて、長文の詞書は、十首の歌をそれぞれに対応する障子絵の内容とともに収録し、絵は上部三分の一程度の空間を惜しみなく用いて障子絵を丁寧に描き込んでいる。ただ、建物の曲がり角に雪と梅の絵が隠され、満開する桜を月の下で一人の男が眺めるという構図がまず目に飛び込んでくる。詠歌をもって絵の鑑賞とする貴人たちは、横一列に並んで絵に対面する。対して、主人公の義清は、身分の差がその理由だろうか、その姿を一列の公卿の中に認めることはなく、しかも詞書によれば、「その日のうちに読つらね」たものだと、絵の前から離れての詠歌という行動だった。

いまや東京にはまさに花見のシーズンだ。ラジオから伝わるニュースによれば、毎年ながらの開花標準木は、なぜかフライングとともに語られている。いずれにしても、いまだ雪が残るなか、桜満開の様子を想像しているいまこのころである。

2017年3月18日土曜日

絵巻と漫画が出会う

すでに四年目になるが、職場の担当教員と力をあわせ、ささやかな日本文化シリーズと名乗るものを打ち出し、年一回、授業では扱いきれないものを取り出して語り聞かせている。絵巻に集中したいものだが、さほど予備知識を持っていない若者には、もうすこし取っ付きやすいとの想いから、つい漫画まで付け加えた。たどり着いたタイトルをそのまま日本語に訳したら、上記のものとなってしまう。

絵巻というものはけっして一纏めに括りがたいのと同様、漫画の内容も表現形態も多岐にわたり、全体像を概観するのは、考えようによっては遥かに難しい。読者それぞれの立ち位置や読書経験により、人それぞれの漫画像を持っていると言って良かろう。しかも英語圏に身を置いてみれば、英訳一つ取り出してみても、ページめくりから議論を始めなければならない。思えば気が遠くなるテーマだ。わたしの場合、平均的な北米の日本語学習者に向かってこれを語れば、まずつぎの二つの事実を触れておくことにしている。日本における漫画は、専門週刊誌の存在、単行本の値段、それにゴミ捨て場の様子などから分かるように、消費するものである。それから、成功した漫画は、紙媒体に止まらず、アニメ、ゲームなど隣接の媒体に越境するものである。この二つのことさえ気づいておけば、漫画を見る目は大きく変わるものだと言えよう。

週末にかけてパワーポイントの準備に取り掛かっている。今度は画像中心のレイアウトを試みた。さらに、絵巻の展開、漫画上のスポットライト、動く四コマと、違うタイプの動きを取り入れている。どこまで聴く人に伝わるものだろうか、楽しみだ。

Scroll Met Comics

2017年3月11日土曜日

日本語弁論大会

毎年のことだが、いまの時期は学生を巻き込む行事が多い。中でも、個人的に関わったことだけでも二十回以上数える日本語弁論大会は、先週の週末に開かれた。今年の開催地は、北へ三百キロ離れた州都の町。大型バスをチャーターして乗り込み、日帰りで集中的に参加してきた。

学生たちは、学習歴にあわせて、3分から5分の自由テーマのスピーチを用意して披露する、というのがこの行事のスタイルである。語学力が限られるなか、じつに多彩なスピーチが語られたものである。遠く離れた故郷の風景、新たに覚えた日本語の表現から得た思考、外国体験の記憶、カナダに移り住む移民としての経験と苦悩、どれも真摯な話ばかりである。中でも、直接に教えた学生の一人の話には、とりわけ思いに残るものがあった。前学期、現代文学のクラスで何気なくとある受賞小説のことを触れたが、学生はそれを探してきて実際に読んでいた。小説で取り上げられた現代日本の若者の気質をめぐり、個人的には腑に落ちないところがあり、たまたま秋の学会で講演をなさったかなり知名な学者に思い切って質問したことがある。そのあと、同じ学者は、「平等に貧しくなる」との考えを公にして、かなりの議論を巻き起こしている。さいわい、学生のスピーチは、日本とのつながりや日本への関心というかなり積極的で前向きな読み方を示したものであり、内心大きくほっとした。

弁論大会の様子を記してビデオを撮影し、それを大学の公式サイトで公開している。興味ある方は、ぜひ一度アクセスして見てください。

2017 Japanese Speech Contest Held

2017年3月4日土曜日

中世化する現代

すでに六週間ほど前のことになるが、京都への研究会参加のおり、貴重な思い出があった。懇親会の席上、研究所に新しく着任された中世歴史専門の若い学者に紹介され、短く会話を交わした。しかもその翌日のコーヒーブレイクにおいてもさらに会話が続き、目下取り組む研究課題のキーワードまで教えてもらった。その方の近著はしかしながら普通の読者に広く読まれるベストセラーになり、しかもなんと今週のNHKのニュースにまで取り上げられるまでに至った。少なからずに驚いた。

著書のテーマは、あの応仁の乱。研究書が一般読者に受け入れられるという、やや意外で、しかし大いに喜ばれる事象に直面すると、ベストセラーの作り方、宣伝の戦術、いまならではの情報伝達の特徴、そして学問のあり方やそれへの眼差しなど、さまざまな方面から語られるようになる。その中で、とりわけ目を引いたのは、このテーマが読者の心を掴み取ったこと自体を、一つの文化的な事象として捉えようとする分析の仕方だった。さまざまな読者の声が紹介され、個人的に印象に残ったのは、その中の一つである「中世化する現代」という文言だった。言おうとすることは、いまの世界規模で起こっている価値観の変化や秩序の変容の兆しへの不安であり、そのような感覚を中世へのイメージの重なりを見出そうとしているものだろう。いわく、中世とは、支配する権力はなく、自分で生き抜くべき乱世だとか。はなはだステレオタイプ的な中世観だが、このように認識されているものだと、むしろあらためて認識させられた思いがした。

NHKテレビ番組の報道の掴みは、事件の年を覚えるための、「人世虚し」の一言だった。はっとした。歴史入門のクラスで、応仁の乱にはいつも一時間を割り当てている。しかしながら、年号を覚えようとする努力を自分ではしていなくて、学生たちにもさせてはいない。ただこのようなフレーズをたまには取り出すのも興味深いと、まずは記憶に止めておこう。

新書が20万部超のヒット

2017年2月25日土曜日

Old Japan Redux 3

先学期、日本の歴史についての講義をし、学生レポートには相変わらず素晴らしい作品が集まった。成績判断の対象である提出物だが、それでも学生個人と教師一人の間だけのやりとりに終わらせないことを心がけ、まずはすべてクラス内部で互いに読めるようにしておいた。それと同時に、さらに読者を広めたいという目的で、今年も優れたフィクション作品などを選んで、小さな一冊とした。「Old Japan Redux 3」として、週末から勤務校の公式サイトで公開した。

日本の歴史上の出来事に興味があり、かつ英語圏の若い学生たちの発想や受け止め方を知りたい方には、ぜひご一読をお勧めしたい。たとえ英語の文章に時間を取られたくなくても、後半の漫画の部なら、確実に惹かれるに違いない。正直、授業を担当し、合わせて37時間の講義を三ヶ月の間にこなしてきた教師本人としても、読んでいてあらためて感嘆するところが多い。歴史事件へのアプローチ、資料の読み方や着眼など、自分が教え込んだり、植え付けたりしたと言う自信は、とても持たない。あくまでも入門のコースなので、とりわけたくさんの資料を読ませたり、調べさせたりしたわけでもない。なのに、これだけ感受性、溢れんばかりの表現欲、的確で楽しい表現力など、はたしてどこから来たのだろうか。講義を続けてきた教師だとは言え、単なる読者として、とにかく若い作者たちに刺激され、励まされていると、今年も記しておこう。

けっして意図的に狙っているわけではないが、振り返ってみれば、同じタイトルのこれまでの一冊目二冊目も、まったく同じ時期に仕上げ、しかもその公開もともに二月第三週だった。このようにささやかな伝統が作られていくものだと、自分に言い聞かせながら、この作業に一段落をつけた。

Introducing Old Japan Redux 3

2017年2月18日土曜日

デジタル画像の継承性

週末に、インターネットを通して一つの研究発表を行った。二年かけての小さなプロジェクトについての報告であるが、時間が止まらずに経過した中、思う通りの成果にはなかなか達成できていない。プロジェクトのタイトルに基礎研究と名乗った通り、あくまでも基礎にかかわるものしか残らなかった。

報告で触れた基礎認識の一つをここに記しておこう。それは、デジタル環境における画像データの継承性である。古典資料における文字も画像も、まずは一通り電子画像として撮影なりスキャンなりの手段を通してデジタルデータに記録する。しかしながら、文字情報に対する電子テキストと、画像情報に対する画像データの間には根本的な違いが存在している。前者の電子テキストには、JIS基準やユニコードなどをもっていち早くスタンダートが樹立されている。しかしながら、画像データには、JPGやPNGなど市民権を獲得した基準が見受けられるようになったにも関わらず、解像度や色彩の記録など、まだまだ発展の余地が残っている。解像度一つをとり上げてみても、利用できれば十分と最高の画質という二つの極端な発想はつねにあった。そして、記録、保存、転送の手段の進歩にともない、数年まえまで最高の画質とされたものでも、いつの間にか利用に十分とさえ考えられるようになり、かなりの機関などでは、じっさいに撮り直しの決断を余儀なくさせられている。とりわけ古典文献の場合、資料の保存などの見地から、とても時間の労力だけでは片付けられない。古典画像の内部に立ち入って追加の情報を作成し、それを対象にデータベースを構築するという該当のプロジェクトは、したがって画像データの継承性というところで最大の難関に直面せざるをえなかった。

ちなみに、発表は質疑応答も含めて、ほぼ秒単位のロスもなくスムーズに進行できた。USTREAM放送で送られてくる会場の様子を、手元の別のパソコンの画面で確認をしながら話を進め、まるで会場に身を置いたような感覚だった。地球半分をまるごと行き帰っているデジタル信号の不思議を噛み締めつつ、とても貴重な経験を得た。

ARC・2016年度成果発表会

2017年2月11日土曜日

Android・変体仮名百語

特設ページとしてスタートした「変体仮名百語」は、アップルのアプリとなってiTunesに登場し、それから三ヶ月近く過ぎて、アンドロイドアプリとしてGoogle Playで公開した。内容にはとくべつに変化を加えたわけではなく、あくまでも携帯というデバイスの可能性に惹かれて、どのような受け止め方があるのだろうかと想像しながらの試みである。アプリ開発担当の専門技術者からの連絡を受けて、即その日のうちにSNSで公開の第一報を行った。

アップルのアプリの時にすでに経験したことだが、アプリ公開をうけて迅速に届いた声には、同じ分野の研究者や学習者に加え、まったく予想していなかった方向からのものがあった。それは、いわゆるマーケティング、すなわち販売促進の立場からのものだった。いずれも丁重でいて真摯、自己紹介に続いて、宣伝に協力する用意や方法がある、これを一種のサービスとして利用することをぜひ検討してほしいという内容が続く。連絡が届いたのは、アプリ公開に用いたメールアカウントではなく、勤務校の公式のものだったことなどから見て、個人のホームページなどを閲覧したことぐらいは察しがつく。いささか意外な反応だった。一方では、日本、ひいては古典、画像資料、学校教育などに具体的な接点があるとも思えない。もともと英語圏からすれば、以上のようなきわめて漠然と無限の広がりをもつものでさえ、かなり独特な存在に映って見えるものだという事実を付け加えなければならないのだろうけど。

現在のところ、このようなサービスに頼る予定はない。SNSで告知をし、それを受けて、Facebookではなんらかの形で交流を持っている方々、そしてツイッターではほとんど個人名が不明だが、あきらかに関連ある分野に興味のある方々からの反響は、いずれも嬉しく拝読している。しかしながら、プロの力を借りて影響を広めるとなれば、やはり小さくはない飛躍があるように思えてならない。伝統的な文化系の価値観に規定される発想なのだろうか。

Classical Kana - 変体仮名百語

2017年2月4日土曜日

恵方か兄方か

今週に迎えた季節の大きな移り変わりは、節分。暦の上では、すでに春も訪れてきたものだ。一方では、いまだ雪に包まれた厳しい寒さの中から遙か眺めた、いかにも異国らしい日本の風景には、鬼や福を連呼する豆マキよりも、恵方マキのほうがさまざまな意味で話題を攫ったらしい。

恵方という言葉には、個人的にまったく馴染みがない。辞書などを調べれば、同じ言葉は古くからさまざまな漢字に当てられた。なかでも、あるいは「兄方」がいちばん理解しやすいものだろう。干支の読み方から派生されたものと思われ、同じ知識体系の一つとしてまずはしっくり来る。対して、言葉の意味に重きを置いた当て字として、「吉方」(よきかた、よきほうと読まれたか)、「得方」、そして「恵方」など、多彩な用例が報告されている。言語史の勉強をしっかりしていない自分には、古辞書、ひいてはさまざまな古記録データベースにアクセス出来ても、意味ある結論にたどり着く自信がない。ただ「日本国語大辞典」によれば、「恵方」はたしかに近世以後一般的な表記となったと明記していることだけ覚えておきたい。

このように、恵方という言葉を反芻している間に、世の中は、しかしながら巻きずし、コンビニ、ノルマと労働条件など、「恵方」というめでたい言葉は、どうも縁起でもない方向へまるで連想ゲームのように慌ただしく移り変わっている。言葉が変容する極端な一様相として特記すべきだろう。

2017年1月28日土曜日

鳥盡

ここに、一枚の双六がある。遠く江戸時代において人々に親しまれた盤上ゲームであり、今日になれば、遊びの道具としてだけではなく、同じ時代の生活の息吹を伝えてくれる貴重な資料となっている。双六コレクションは、いまやかなりの数が知られているが、築地双六館所蔵のこの一点は、十数年まえから「双六ねっと」においてデジタル公開されている。

双六全体は、大小28のコマに分かれ、「振り出し」以外、すべてのコマに「とり」が語尾に付く言葉を振り当てられている。それぞれのコマにはサイコロの数字に合わせたつぎのステップが記され、遊びの体裁がはっきりと揃っている。しかしながら、双六を眺める楽しみは、なんと言ってもその言葉選びの妙にある。タイトルには「鳥」尽くしとあり、実際の鳥の姿も「振り出し」に描かれてはいるが、鳥との関連はこれぐらいに止まり、あとはとことん遊びである。選ばれた言葉の中、圧倒的に多いのやはり「取り」である。ただ、そのどれもが一縄には行かず、じっくり観察してみれば、意味合い上の差異は興味深い。簡単に並べてみれば、収穫の対象を示す「金とり」、「蜆とり」、「点とり」、手にして差し出す「酌とり」、「草履とり」、「炭とり」、除外することを目標とする「塵とり」、「鼠とり」、「煤とり」、苦労の末に享受する「嫁とり」、「婿とり」、「客とり」、そして、まったく意表を突く「ぽっとり」、「ひとり」、「さとり」。終着ゴールはなんと「御世とり」と、感動するぐらいスケールが大きい。

暦の上で今日は農暦丁酉年の元日。お正月祝賀の声が交わされる中、この目出たい作品を取り出し、あわせて新しい春に慶びを添えたい。

鳥盡初音寿語六

2017年1月23日月曜日

弾丸旅行

週末にかけて、京都で開催された研究会に参加してきた。絵巻、漫画、そして学校教育における日本の古典、どれを取り上げてみても、深く関心をもつテーマばかりだった。研究発表や質疑応答などから習ったこと、改めて気づかれたことなど、数えあげようと思えば長いリストになり、とにかく収穫が多かった。ここには、その中の一つの断片を記しておこう。

西洋の伝統における漫画、風刺画を取り上げる発表において、「カリカチュアを描くための原則」(Francis Grose、1788刊)が紹介された。関連の分野についての知識をほとんど空白な状態にいる自分にとっては、じつに新鮮で刺激的なものだった。そもそも一つの絵画のジャンルあるいは表現のスタイルについての、ここまで冷静にして、いわば斜めに構え、覚めた距離感を保ちながらの分析は、表現そのものが流行り、読者に十分に受け入れられてからはじめて現れてくるものだと、なんとなく漠然と想像していた。しかし、そのような根拠のない目論見は、こうも簡単に覆され、思辨的な西洋の伝統をあらためて認識させられた。さらに、この事実はとりもなおさず日本の絵画伝統についての捉え方への反省を促している。日本の芸術論、とりわけ絵画理論の歴史はごく簡略なものに止まったことは周知の事実であり、この分野を対象とする研究書も、どうしても周辺資料を応用する形で対応せざるをえなかった。ここに注目すべきことは、このような同時代の理論的なアプローチの淡白さは、そのまま今日の研究者の立場を規定し、暗黙の前提になっていることである。絵画表現についての、抽象的な捉え方を試みようとする努力の少ない現状は、このような日本の美術伝統の一側面とけっして無関係ではない。

研究会参加の旅行は、三泊五日という、言葉通りの弾丸旅行だった。移動や会合など以外のわずかな時間も、一分も無駄にしたくないと、努めて歩き回った。幸いしっかりと睡眠が取れたなど時差に苦しまれることもなかった。その分、普段の日課には数日の休止を加え、自宅を戻ったいまは、今回のブログの遅れた更新を含め、日常を取り戻すように集中している。

投企する古典性―視覚/大衆/現代
Rules for drawing caricaturas

2017年1月14日土曜日

逆読

絵巻への接し方、とりわけ中世のそれについて、ずっと深い興味を持っている。絵巻享受の円熟期を迎えた室町期において、絵巻のある空間とはどのようなものだったのだろうか。あの「東屋」に描かれた様子は、詞書と絵が巻物に納めた時代になってみれば、どうしても特異に映ってならない。そのような中で、中院通秀の日記「十輪院内府記」の記述を知って、目が醒める思いだった。

同記録には、つぎのような一行が記される。
「(略)又被読絵詞。絵方成御前逆読之也。」(文明十二年八月二十二日)
つぎのように読み下して良かろう。
「また絵詞を読ませらる。絵の方、御前に成り、之を逆さに読むなり。」

貴重な絵巻鑑賞は、それ自体はささやかな出来事であり、一人でこっそり読み耽るわけにはいかない。自然と少人数の集合となる。そこで、行事の中心となる貴人(この場合後土御門天皇)の正面に絵巻を据えることは言うまでもない。そこで、学識ある人が指名され、詞書の文字を朗々と読み上げ、あるいは同時期の日記に使われた用語によれば、「読み申す」ものである。ただ、中心の人間が天皇だったら、はたして読み上げる人の立ち位置はどうなるのだろうか、意外と素直な答えが出てこない。それはなんと、逆さまに読むとは。これなら、閉ざされた場の様子が目に見えるように浮かび上がってくるものだ。そして、自ずと新しい質問が上がってくる。このような「逆読」とは、はたして広く取られた方法だろうか、それともかなり特殊だったからこそわざわざ記されたのだろうか。常識に考えれば、逆さまに読むためには特殊な能力が必要で、読み上げる人は、まえもって一通り目を通しておいたか、それとも学識の一部として内容をすでに熟知していたのだろう。さらに言えば、読ませる天皇自身だって十分文字が読めたはずだが、絵の鑑賞に集中したいがためにこのような場を作り出させたに違いない。

ちなみに、オンラインでアクセスできる「大日本史料」(8編12冊)はこの記述を収録していない。これに辿り着いたのも、上の引用も、ともに「「室町戦国期の文芸とその展開」(伊藤慎吾)によるものである。

2017年1月7日土曜日

動画・あきみち

古典の作品、とりわけ絵の付いたそれを声で届けてみようという試みは、これまで少しずつ続けてきた。その間、音声入力、動画制作、そして保存や伝播関連の技術が進化し、いろいろなことが手軽に出来るようになった。新年にあわせて、ここに一篇の新しいタイトルを加える。御伽草子の代表作「あきみち」である。

物語は、まずなによりも、面白い。並の秩序が守られていなかった世の中における武勇談だが、そこに色仕掛けの知恵比べ、悪人退治、血を血で洗う復讐、そしてか弱い女性の勇気と性、目まぐるしいほどの多彩多様な要素がいっぱい詰まっている。物語の内容や影響力にふさわしく、これまでには繰り返し研究の対象となり、注釈付きの本文まで作成されている(「日本古典文学大系」38所収)。それらの成果を参照しつつ、朗読に選んだ底本は、国会図書館に所蔵され、デジタル公開されたものである。あわせて五十二帖(そのうち、挿絵十六枚を含む)、約一万二千文字の分量である。格調高く書写された本文、可愛らしい挿絵、ともに古典の魅力を伝えている。すべての画像をAdobe Premiereに読み込み、時間軸に引き出して赤い罫線を被せ、朗読にあわせて罫線を動かしながら読まれている文字を指し示す動画を仕立てた。

「あきみち」の全文朗読動画は、上下あわせて五十分強の長さにわたる。YouTubeにアップロードした。現在の日常生活において、これだけの動画を終わりまで見続けることは、ささやかなチャレンジだろう。そのような余裕がありそうだったら、ぜひ動画にアクセスし、音声に耳を傾け、変体かなの文字に目を凝らしてみてください。きっとよい経験になるはずだ。

「動画・あきみち」()(