2022年3月26日土曜日

存在しない干支

文字絵を楽しむ『文字の知画』。改めて開き、その序文を眺めた。なにげなく最後の一行まで目が進んだら、不可解な文に出会った。出版の時を明記するもので、「文化丁寅孟春」だ。

「丁寅」?干支のことだが、これはありえないものだ。干支は十干と十二支、両者が順に組み合わせて六十年を一回りとする。十番目の干の次には一番目が来て支の十一番目に合わせ、今度は支の十二番の次に一番目が来て干の三番目に合わせる。このような作りになっているので、奇数と偶数の干支がそれぞれ組み合わせるが、奇数の干と偶数の支、あるいは偶数の干と奇数の支とが合わせることはない。したがって「甲乙丙丁」と干の四番と「子丑寅」と支の三番が組み合わせることは存在しない。ちなみに、文化という年号は1804年から1818年までと十五年続き、その間に丁は、文化四年の丁卯(1807)と文化十四年の丁丑(1817)と二回回ってきた。

刊行の時間は孟春、初春あるいはお正月であり、本書のつぎのページの見開きはまさにお正月の風景を集めたもので、刊行はまさに一年の始まりだと理解すべきだろう。作者の十返舎一九がそこまで時間のことを無頓着だろうか、それともなにかを狙ってのかれ一流のヒネリなのか、にわかに分からない。

2022年3月19日土曜日

古典籍サーチ

古典籍の基本情報を調べるには、まず国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録DB館蔵和古書目録DB」を開く。あの『国書総目録』、それに増え続けるデジタル公開に支えられているのだから、心強い。一方では、デジタル公開についてこれがすべてをカバーしていないということをつねに自分に言い聞かせている。なにせ国会図書館のデジタルコレクションが反映されていない。そんな中、先日たまたまアクセスしたら、ちょっとした変化が起こったことに気づいた。

絵巻の模写『絵師草紙』。タイトル情報には国会図書館のデジタル画像閲覧のリンクが載せられた。それをクリックして、馴染みのビュアーが立ち上がり、国会図書館所蔵のデジタル画像が現われた。思わずほっとし、声を上げたくなるぐらいだった。しかしながら、よく見てみると、このタイトルに国会図書館が付与している「永続的識別子」とは番号が違う。どういうことなのだろうか。すぐ思いついたのは、IIIFのことだ。国会図書館は、2018年にデジタル画像がIIIF規格に対応するとアナウンスし、それぞれの図書デジタル閲覧のページに「マニュフェスト」を載せている。あるいはこの情報が利用された新たな展開なのだろうか。

一方では、さらに気になることがある。いまのところ、このデジタル公開に関する情報は、けっして十分ではない。例をあげてみると、似たタイトルの『百鬼夜行絵巻』、『弱竹物語』は、ともに国会所蔵の情報が書誌に明記されるが、デジタル公開についてのリンクがない。新日本古典籍総合データベースの更新記録を読めば、2022年3月10日付けに「国立国会図書館デジタルコレクション8,512作品」が追加されたとある。あるいはこの数がこれから増え続けることだろうか。一人のユーザーとして、謎が多くて、いまだ安心して使えるということには至っていない。


2022年3月12日土曜日

巻物の表と裏

巻物の思わぬ姿に出会った。まったく予備知識を持たず、正直どのように解釈すべきかいまも戸惑っている。正面から取り上げた研究はきっと存在しているだろうから、それにたどり着くまでに、ひとまず気づいた疑問などを記しておこう。

右の絵である。登場したのは、バチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井画だ。あのミケランジェロ・ブオナローティによって描かれたもので、ルネサンスを代表する画作なのだ。描いたのは、聖書に登場する七人の預言者の一人であるヨエル、そのかれが羊皮紙の巻物を読み入る。それにしても、この巻物はどのような作りになっているのだろうか。一見して、文字が書かれた表の面が巻かれる軸の外側に来る格好になった。しかしながらさらに目を凝らしたら、両手の間において巻物は一度捩じられている。これなら文字の面が軸の裏側にくることになるが、そうであればわざわざ捩じってまで巻物を操作しなければならない理由は分からない。さらに言えば、文字の方向ははたしてどうなっているのか。見詰めるほど疑問の数が増える。材料、体裁、言語、文字、洋の東西においてその距離は思ったほど遠かった。

写真は、「ミケランジェロが描くシスティーナ礼拝堂天井画の複製展示」からである。すでに北米のいくつかの都市で展示され、今月からここカルガリーにやってきた。決して上質とは言えない複製、会場もまったく飾り気のないものだった。それでも訪ねる人は後を絶たない。圧倒的な迫力をもつ原作に思いに馳せらせる意図には敬意を払いたい。インスタグラムに会場内外から数枚の写真を載せた。

Michelangelo’s Sistine Chapel: The Exhibition

2022年3月5日土曜日

写真AI修正

AI技術応用の一つとして、古い写真に色付けをし、画質を修正ソフトは多い。そのような広告を見ると、ついクリックしてみる。だが、宣伝広告は魅力的に見えても、実際に試すとがっかりするのが普通だ。その中で、一つかなり満足できるものに出会った。

どうもどういう写真を対象にするかが肝心なようだ。顔ばかりの写真だと、機械的な修正はやりすぎで、自分の記憶との距離も大きい。一方では、大事なイベントなどになると、顔だけではなく、周りの雰囲気などが加わり、違和感が若干消される。ここでそのような一枚。すでに30数年まえのもので、いまは小さくプリントした写真しか残っていない。いくらスキャンナーなどで丁寧に読み取っても、限界がある。そこでアプリを試してみた。「Pixelup」。ほぼ想像したものに近く、この結果だと保存しておく価値がありそうだ。ただこの手のソフトにありがちなことに、とにかく有料への誘導がしつこい。出来上がったものをダウンロードするには、1分近く広告を見せられた。

ちなみに写真の日にちは1989年11月24日、場所は京大会館、博士学位授与式のあとの懇親会会場だった。笑顔で写真撮影に応じてくれたのは、京都大学第21代総長西島安則氏だった。