2019年3月30日土曜日

年号

あと一日ちょっとで新しい年号が公表される運びになっている。日本からのニュースを読めば、分刻みの発表日程から、各国へのファクスでの伝達予定まで、さまざまな話題が尽きない。まるでお祭りの観を呈している。

年号とは、一国を支配する皇帝とセットとなり、いうまでもなく中国起源のものである。気軽にネットをクリックして漫然と読んでみれば、あれこれと興味深い事実を習った。一人の皇帝/天皇が複数の年号を使うのは日本中世の現象だと思い込んでいたが、どうやらそれは中国の明、清時代の仕組みからの早合点で、記録の持ち主は武則天の十七と、唐高宗の十四だった。長く続いた年号となれば、万歴の四十八年と乾隆の六十年は三位と二位に止まり、昭和の六十四年はトップの座を占めている。一方では、朝鮮王朝に目を向ければ、清への抵抗を貫くために、大明崇禎二百二十九年などの用例が実際に伝わっていると聞いて、さすがに驚いた。

新しい年号はどのようなものになるのだろうか。中国の典籍からの利用を止めるとの議論もどうも大いに議論されているもようだ。これまでの実践を見れば、もともと文章の一部をもとに適宜に文字を切り出しているのだから、あくまでも造語であり、原典との距離はかなり存在している。漢字二文字という限定が設けられているのだから、あまり意味のある議論とは思われない。あくまでも分かりやすくて、実用に役立つ言葉が望ましい。それの意味合いや思いも、時間の流れによって作り出すべきものだろう。願わくば無味透明な新年号が発表されることを切に祈る。

2019年3月23日土曜日

CJ5M

Classical Japanese in 5 Minutes。「5分で分かる!日本語古文」と名乗り、5分程度の動画を29編制作して公開した。これに取り掛かった直接のきっかけは、勤務校で開講する古文授業への準備だった。長年思い描いてきたことがようやく叶え、かなり早い時点から登録する学生にも恵まれ、過去数ヶ月、集中的に取り掛かってきた。自分としてははじめての英語を用いる特設サイトである。

古文勉強の副教材として組み立てているため、音声解説とそれにあわせた文字情報を中心とした。いまは手軽に動画を作成するソフト、アプリなどが多数利用できるようになっているが、あれこれと試してたどり着いたのは、やはり普段使い慣れたパワーポイントだった。文字情報と音声情報をそれぞれ個別に作成し、そのうえ動画に纏めるという方法だった。全体の流れは、「古文オンライン」のそれを踏襲し、例文の選定に慎重に時間を使った。英訳を添えることが前提になっているため、それの統一を図り、複数の訳作を避け、ほぼすべて「Anthology of Japanese Literature」 (Grove Press, 1994)に頼った。デジタル化されたこの一冊は、大学の図書館を通して学生たちが簡単に入手できて、教室で安心して使うことが一番の理由となった。

古文教育の目的、そしてそのアプローチはさまざまに考えられる。とりわけ受験という枠組みが存在しない外国語教育の一環として、より大きな自由がある。CJ5Mは、結局のところ、文法中心となった。はたして最善なのか、たとえば名作を読むなど違う切口が考えられないのか、これらの課題には、まさにその入口に立っているに過ぎない。長い模索はこれから続く。

Classical Japanese in 5 Minutes

2019年3月16日土曜日

プラモデル

日本歴史の授業では、いつも城をテーマの一つにしている。しかしながら、正直に言うと、観光や映画などから得た知識以外、この奥深い世界への認識はいたって限られている。学生たちには、教科書など以上の、なにか有意義な手がかりを提供できないものかと、いつも苦慮している。

半年ほど前のことだ。手頃な模型でもあればとあれこれクリックしてみたら、プラモデルのことが目に入った。一枚の状態になっているさまざまなパーツを切り出して組み立てるものである。なんとカナダのアマゾンサイトでも販売されていて、値段もほぼ定価通りだ。とにかく購入した。郵送にはかなりの時間がかかったが、ともかく無事に届いた。箱を開けてみれば、とても簡単に組立てるものではなかった。作ったものを教室に持ち込むとの目論見を止め、代わりに現品を講壇に置くことにした。百人もいる学生なら、なんらかの反応があるだろうと睨んだ。案の定、普段まったく発言などしない学生の一人は、さっと寄ってきて、この手のものはなれているのだから、作るよと志願してきた。願ってもないことだった。数日のあと、じつに上手に制作された製品が教室に戻ってきた。若いものたちには、いろいろな才能が隠されたものだと、つくづく感じる一時だった。

模型はいまでも研究室においてある。いまはやりの3Dスキャン、3D印刷などを駆使したら、物理的な小物を学生たちに届けられるのではないかと、想像をしている。いまだ目的にたどり着いていない。(購入したのは、「日本の名城プラモデル・姫路城」である。)

2019年3月9日土曜日

花押の書き順

花押をめぐる関心や研究は、文字出自の確定などが中心になっているもようだ。ただ、ほとんどの場合は確証があるわけではない。一方では、どのような経路を辿って成立されたにせよ、慎重に設計され、基本形が真剣に守られていたことから、到達された形そのものがなによりも大事なのだと分かる。そのため、花押の画数と書き順を明らかにすることは、一つの有意義な課題に違いない。そこで、つぎのような試みをしてみた。先週の議論同様、花押の主は足利家時、あの尊氏の祖父にあたる人物である。

まずは、書写の画数を分解して、右の動画を作成した。普通の文字にみる筆の運び方と異なる要素はいくつか認められるが、基本的には一筆で書きあげるものではなく、家時の花押の場合、四画に纏められているとみてよかろう。

いうまでもなく、書の知識などのみを根拠に頼るわけにはいかない。さいわい、同じ人物の花押が複数伝わっている。手書きで、実用的なそれは、互いに完全に一致するはずはない。場合によっては、その差異はあまりにも大きい。「花押カードデータベース」(東京大学史料編纂所)には、家時の花押を約八点収録している。とりわけ文永三年四月 (No.010062)の花押は大きな参考になっている。基本形として用いている文永六年四月 (No.010065)の花押を解読するには、まるでレントゲンを見せてくれているようで、花押の形はなんとも分かりやすい。これに加えて、たとえば円形の書き方の方向なども、はっきりと参照する実例があった。

かつて変体仮名を取り上げるにあたり、筆をなぞえるアプローチを試みた(「変体仮名百語」)。同じやりかたは相変わらず参考になると思われ、ここに添えた。さらに静止画を見つめるためには、画数の順番と筆の方向を同じ空間にまとめる方法を試してみた。

これらのアプローチは、どこまで有効だろうか。さらに同時代の花押を数個試してみたい。そこからはきっと興味深い風景が見えてくるに違いない。そう願いたい。


2019年3月3日日曜日

花押

花押、とりわけ中世の権力者たちによるそれについて、ずっとある種の魅力を感じている。このブログでも、かつて中国の皇帝の使用例を持ち出して議論してみた(「花押と画押」)。真正面から取り掛かる知識を持ち合わせていないことを自覚しながらも、ときどき思い出すテーマである。

いうまでもなく、花押とは大きな分野だ。関連書籍の目録を見ても、大型な辞書からさまざまな読者を想定した入門書、解説書などは、本棚の一段を簡単に埋めてしまう。それらを開いてみれば、花押を作り出す方法、組み合わされた文字、ひいては使用者の時期の特定など、膨大な知識が蓄積されている。手書きで元となる文字の分解してみせる試みまで見られる。しかもこのような視線は、江戸の学者にまで遡れる。一方では、あくまでも花押そのものの形に着眼すれば、その書き方をどこまで再現することが可能だろうか、かならずしも共通の関心にはなっていない模様だ。

世の中はデジタル環境の恵みを受けて移り変わっている。花押を読み解く課題にしても、「花押カードデータベース」(東京大学史料編纂所)という素晴らしいものがクリック一つでパソコンの画面に飛び出してくる。複数の実例を並べておくと、花押の書き方を可視化することが確実にできるような気がしてならない。(写真は足利家時の花押から)

花押カードデータベース