2019年8月31日土曜日

デジタル公開に思う

絵巻など古典画像資料のデジタル公開は、ここ十年以上、凄まじいスピードで広がっている。とりわけ海外に身を置いている者として、かなりの作品を気軽にパソコン画面に呼び出せるということは、なんともありがたい。一方では、そのようなデジタル公開を企画、管理する主体は、図書館など資料の所蔵機関だからだろうか、古典そのものをそのまま公開する以外、それ以上の作業はほとんどなされていない。

「酒呑童子絵巻」に関連する二例を具体的に眺めてみよう。

大阪大谷大学図書館は、所蔵の「酒天童子絵巻」を2010年に公開した。多くの同時期の公開サイトに比べて、そのオープンページは、練達にデザインされていて、魅力的で豊かな連想を誘う。ただ、内容はあくまでも絵巻を見せるのみ、資料紹介の項目は設けられてはいるが、中型辞書の解説にも及ばない。

数ある同絵巻の中で、一番最近に公開されたのは、立命館大学アート・リサーチセンターによる「「酒呑童子」研究所」、ビゲロー本「酒呑童子」絵巻が同センターのコレクションに加わるにあたって開設されたものである。長年海外に流出された文化財の帰還に伴い、もう一点の貴重な模写本とあわせて、二作の高精細デジタル画像の公開は素晴らしい。ただ、デジタル画像が別のデーターベースに格納されていて、たどり着くまでには一苦労、用意されたいくつかの項目は、いまも空白なままだ。

ここに見られる共通の姿勢は、研究者による、研究者のためのデジタル公開なのだろう。言い換えれば、一般の読者へのアプローチが認められない。「酒呑童子」のような絵巻には、普通に読んでいて十分に面白い。そのような魅力を伝えるために、語彙の説明、絵の鑑賞、楽しみ方を示すコラム、ひいては音声、動画など、方法はいくらでも考えられようが、そのような努力はいまだ見られない。

ここにもIIIF規格の普及が頼もしい。すでにいくつかのタイトルはこれに対応していて、非常に安心して気持ちよくアクセスすることができる。いうまでもなくIIIFは、閲覧や再利用への配慮から出発したものだ。一般読者にも楽しまれるような新たな性格のサイトの出現をいまから願う。

2019年8月24日土曜日

リソースリストを更新

デジタル・リソース」と名乗って、デジタル公開の絵巻、絵本のリストを作成したのは2015年、それを大幅に更新したのは二年まえだった。あくまでもメモ風に仕立てたもので、個人的な関心が向くままに記し、体裁の統一もさほど拘らなかった。これ関連の変化は目覚ましい。さらに二年経ったので、今週、時間を取ってリンクを確認し、最小限の更新を加えた。

どのリソースも、提供機関においては精力的な作業の結果にほかならない。それにもかからわず、部署の統合改変などが大きな理由だろうか、中身が継承されていても、プロジェクトの名前の変更などが目立つ。さらに、それが理解出来ても、入り口のリンクまで変わってしまい、新しいサイトへの連結がほとんど行われていないことにはやはり意外だった。率直な印象として、機関内部でデジタル作業の立ち位置にさまざまな変化が起こり、その多くはより重要視されるようになるものだが、外部ユーザーの存在はあまりに考慮に入れていないのではないかと思われる。したがって今度の更新は、同じ機関にあったリソースがきっと存続しているとの見立てから根気よく検索し、それでも見つからなかった三機関も途中結果の形でリストの最後に残した。

この二年間の間に起こった一番大きな変化は、やはりIIIFの普及をあげなければならない。この新しい規格により、デジタル画像の画質やアクセスの方法において格段な飛躍が見えた。優れた再利用の波がやってくることを期待しつつ、あらためてありがたい気持ちを記しておきたい。

2019年8月17日土曜日

観光メモ

短い休暇から帰宅した。旅の後半は、ケベック市で過ごした。町の歴史は、じつに江戸が作り始められたころの十七世紀の初頭にまで遡る。重厚な文化の蓄積にはさすがなものを感じた。

観光の町としての評判は高い。素晴らしい風景などへの期待は大いに満たされたが、それよりも実際に歩いてみて、観光資源作りという、いわばソフト面の整備には感心させられた。おもな観光スポットでは大道芸人たちの姿が絶えない。観察してみれば、それぞれきっちり45分の順番で交代し、出演者のリストを明記したところまであった。一方では、大掛かりな行事もあっちこっち行われている。サーカスのショーには千人以上の観客が集まり、駆けつけてみれば、二時間まえからすでに席取りが始まっていた。夜のコンサートはりっぱなステージを構え、名前の通った芸術家が続々と登場し、周辺道路を歩行者天国に早変わりした。しかもどちらも完全に無料である。観光の町を作り上げるために、官民一体になって力を合わせていることをひしひしと感じ取れた。

モントリオールからの移動は、鉄道を利用した。席はゆったりして、無線通信なども提供されている。ただ、2時間に一本しか運転せず、250キロの距離を走るのに四時間近くもかかった。思えば大学生だったころ利用していた鉄道とまったく同じスピードだった。中国のそれは、しかしもうすでに四十年もまえのことだった。

2019年8月11日日曜日

印象モントリオール

夏休みの後半、休暇を取ってモントリオールにやってきた。飛行時間は四時間、時差は二時間、けっこうな距離だった。古い写真などを繰り出して見てみたら、学会などの出張は別として、前回家族とともに訪ねたのは、じつに1991年の冬、ずいぶんと昔のことだった。

季節だからだろうか、観光客が多い。とりわけ新しいものに関心を寄せる若者が圧倒的だ。フランス語の町という評判は、その通りだ。ただ、なんと言ってもカナダの一部であり、たとえばイタリアなどのように、会話しようとしても話が通じないというわけではなく、だれでも口を開ければ自然な英語が戻ってきます。ただ、英語しか分からない人にはやはり親切とはほど遠い。道路や店の看板などはすべてフランス語。評判を追って入ったレストランでは、人間の名前をもってメニューを作り立てて、ほとんど文化的な意地まで感じさせられた。日本料理の店もかなり目に入った。名前は「OHANA」とかでそれらしく聞こえるが、店の作りは通りに向かって全開、いわゆるオーセンティック(本物感)という工夫とはまったく無縁の、とにかく自由はつらつ、解放感いっぱいで、思わず感心するぐらいだった。

今度の旅の狙いは、ロージャス・カップ。それも決勝のチケットまで取れている。日本のビッグ・プレーヤーが続々と名前が消えたのは残念でならないが、テレビで覗いていた様子はやがて目の前に現われてくる。はたしてどのような風景だろうか。

2019年8月3日土曜日

鎌倉の大イチョウ・伝説

鶴岡八幡宮の「隠れ銀杏」について、何回となく書いてきた。(「鎌倉の大イチョウ」、「鎌倉の大イチョウ・続き」)実朝暗殺という一大事件だけに、銀杏をめぐる記述もきっと由緒正しいものだとばかり思いこんできた。ただ、事実はどうやら違うらしい。

関連する記述をいくつか眺めてみよう。『吾妻鏡』には、「窺来於石階之際、取剣奉侵丞相」とある。暗殺の場所は高い階段の途中、武器は剣という、きわめて簡潔なものだった。『愚管抄』になれば、「(公暁が)下ガサネノ尻ノ上ニノボリテ、カシラヲ一ノ刀ニハ切テタフレケレバ、頸ヲウチヲトシテ取テケリ。」転倒した実朝の体の上に乗りかかり、動きに任せてあっけなく首を切り落としたと、簡潔ながらもリアルな語り口だった。さらに『増鏡』(「新島守」)では、さらに驚いた詳細が加わった。「(公暁が)女のまねをして、白き薄衣ひきおり、大臣の車より降るゝ程をさしのぞくやうにぞ見えける。あやまたず首をうちおとしぬ。」狙い定めて冷静に行動した公暁の様子が漠然と抱いてきたイメージとはだいぶ違う。その彼はなんと女装までして緻密に計画して暗殺に取り掛かったのだった。

そこで、銀杏がこの激動に登場してきたのは、徳川光圀の『新編鎌倉志』を待たなければならない。「相伝ふ、公暁、此銀杏樹の下女服を著て隠れ居て、実朝を殺すとなり。」(「鶴岡八幡宮・石階」)さすがに四百五十年も経ったあとのことであり、古老の伝説として記されていた。平和な世の中、すでに観光地と化した鶴岡八幡宮の境内において、あのころの銀杏は、きっと圧倒的な存在感を見せていたに違いない。(写真は「鶴岡八幡宮境内図」より)