2020年6月27日土曜日

フェロー記録

国際交流基金トロント文化センターは、成立三十周年記念行事の一環として「フェローギャラリー」を制作し、公開した。これまで国際交流基金フェローの経験者たちからそれぞれの関連する研究成果や個人的な記憶を集めたもので、連絡をうけてさっそく質問項目に返答し、その内容が今週公開された。

これまで同フェローを二回いただいた。それぞれ1996年と2007年である。最初のはいまの勤務校に務めて五年目にあたり、1990年はじめに日本を離れてから初めての再訪である。空港から迎えのタクシーに乗ってそのまま宿舎に向かったこと、鴨川沿いにある京都の交流基金事務所を訪ね、到着の報告をしたあと、昼食をご馳走されたことなど、すでに25年もまえのことだが、妙にはっきりと覚えている。二回目ははじめての長い東京滞在だった。フェローの研究は原則として日本国内に留まるはずなのに、二回も国際大会へ参加し、国外旅行が認められて嬉しかった。ソウルとライデン、恵まれた機会を逃さずに出なければとても叶えられないような出会いはいくつもあった。二回のフェローの経験は、自分の研究生活に大きな恩恵をもたらし、そしていずれも関連の研究活動に直結したのだが、それらのことは最小限に触れるに止まった。

同ギャラリーに登場した名前はすでに20名。カナダにおける日本研究の一端も分かって、とても有意義だと思う。あるいは知っている顔もあるだろうから、どうぞ覗いてください。

Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto

2020年6月20日土曜日

くずし字

つぎの文字は、寛政九年(1797)刊の『絵本太閤記』の一頁(初編巻之九十二オ)から無造作に選んだものである。いわゆる「くずし字」における漢字の典型的な一つの側面を伝えている。どれもかなり普通に使われる漢字だが、いくつぐらい読めるのだろうか。

まず答えを示そう。上の行は左から右へ「守、国、興、爰、用」、下の行は「気、土、兼、是、互」である。江戸の版本などにおいては、ほとんどどれもスタンダードなもので、同時期の読み物をたくさん読んでいる目には、さほど苦にすることはなく、自然と覚えたものだ。いうまでもなく、今日わたしたちが使っている文字、知っている文字からすれば、その構成から書き順までとにかく違う。これらの文字がこのような形にたどり着いたのは、それまで長い間書き受け継がれたからにほかならない。中国の楷書などの字形をもともとの基準だとすれば、そこからすこしずつ手書きにおいて簡略化され、書きやすく読みやすくしているうちに、ここに到達した。そしてそのあとの二百年に及ぶ時の流れにおいて、これらの字形が使われなくなり、違うものに変形したのだ。

いまやくずし字をAIの技術で読むということが大いに話題になり、関心を集めている。このレベルのものなら、AIにはおそらくまったく苦労しないだろう。十分な用例さえあれば、すなおに覚えてくれて、識別してくれる。言い換えれば、いまの汎用の字形に邪魔されないで、一つの新しい文字としてこれに取り掛かるのだ。これからくずし字の読解に取り掛かろうとするには、この姿勢こそ大いに参考になると言えよう。

2020年6月13日土曜日

殺戮の様子

「後三年合戦絵詞」には、とりわけ記憶されるなシーンがある。清原家衡・武衡が籠城する金沢柵が危機に瀕し、せめて女性や子供が助かるようにと城のそとへ出したところ、容赦やく殺されてしまった(巻二第五段)。数ある残虐な絵巻の場面においても、殺戮の対象があまりにも同情を誘うものなので、繰り返し語られてきた。

一方では、ビジュアル表現として、その完成度をどこに求めるべきだろうか。これまではあれこれと模索をしながらも、いまだ特筆すべき方向性が見いだせていない。そこで、なにげなくページを開いた一冊の小説から、ちょっとしたヒントを得た。『女人平泉』(三好京三著、PHP文庫)である。小説の第一章は、明らかにこのシーンを基に敷衍したもので、絵巻が伝えた物語を文字をもって最大限に再構築した。そこで、女性や子供の殺戮にかかわる部分になると、かれらが一団となって兵士の中を横切り、やがて一か所に集められる形で全員殺されるという結末になったと構築された。あえて絵巻と比較するなら、激しく動き回るものと、不気味に固められたものという、動と静の両極を目撃できたような気がした。どれにも心を揺るがす迫力をもっている。ただ、動きを求める視線で絵巻を読み返せば、城から逃げるはずの女性たちが、逆に城へと必死に逃げ込むという、見る人の予想を反する絵の流れが、力強い表現となって異彩を放つ。

絵巻の画像を細かく眺めるには、「e国宝」で公開されている高精細のデジタル画像が一番だ。ただ、いま確認したところ、この作品を含むほとんどのものは、Chromeではアクセスできないようになっている。どうやらブラウザ側に問題がありそうだ。デジタル環境の厄介さのリアルな一例だ。

2020年6月6日土曜日

妓王・翻刻正誤表

一か月ほど前、「朗読動画・妓王」を制作、公開した。利用した底本は、京都大学付属図書館蔵『妓王』(2巻)である。「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」は、同作品を高精細のデジタル画像で公共利用に提供しているに留まらず、同種類の公開としてはいまだ少数派に属する本文の翻刻情報をページごとに添えた。朗読にあたって基本的にこの翻刻を全面的に頼った。

サイトの記録によれば、翻刻者の名前は万波通彦、作成したのは1999年である。本作品は、『平家物語』(覚一本)巻一に収められた「祇王」の一章であり、ただし用字、語彙などの異文はほぼいたるところに認められ、独立した物語に仕立てるために独自の記述も追加されている。いうまでもなく万波通彦の翻刻は本作品の文章を丁寧に再現している。一方では、一万文字に近い翻刻になれば、ささやかなエラーはおよそつき物だ。朗読作成の過程においてそれらには自ずと気づき、つい訂正したくなった。訂正の結果を原作公開のサイトにも反映してもらいたいものだが、サイトには担当者の名前が記述されておらず、連絡の方法として専用のフォームが用意されてはいるが、試しに情報を入れて送ったが、届いていないもようで、連絡が戻ってきていない。

考えてみれば、所蔵資料のデジタル化やその公開、管理などの一連の作業は、すでに伝統的な図書館業務の守備範囲から大きくはみ出している。そこに来て、いまのような特定の古典文献の翻刻内容の確認、しかもその対象はすでに二十一年もまえの成果であれば、担当者との連絡もほとんど望めない。細かな対応が出来ないのもやむをえない。専門的なバックアップへの模索、そのような体制の形成をひそかに待ち望んでいる。

念のため、『妓王』翻刻文正誤表をここに添えておく。

ーー『妓王』翻刻文正誤表ーー
image 7 of 39, Description(4オ4行目)
誤:たうし、さしもめてたふさかへかせたまふ、へいけのたい
正:たうし、さしもめてたふさかへさせたまふ、へいけのたい
image 11 of 39, Description(8オ4行目)
誤:てよと、御つかひかさねて三とまてこそたてらけれ、きわう、
正:てよと、御つかひかさねて三とまてこそたてられけれ、きわう、
image 14 of 39, Description(10ウ9行目)
誤:しくて、いかなるへしとももおほえす、なく/\けうくんしけるは、
正:しくて、いかなるへしともおほえす、なく/\けうくんしけるは、
image 16 of 39, Description(12ウ6行目)
誤:なれ、ひとりまいらんも物うしとて、いもうとのきのよをも、あ
正:なれ、ひとりまいらんも物うしとて、いもうとのきによをも、あ
image 16 of 39, Description(12ウ7行目)
誤:いくしけり、そのほか、しらひやうし二人たうして、四人一くるまに
正:いくしけり、そのほか、しらひやうし二人そうして、四人一くるまに
image 32 of 39, Description(下7ウ2行目)
誤:このたひ、ないりにしつてみ
正:このたひ、ないりにしつみ
image 33 of 39, Description(下8ウ8行目)
誤:とかきくとくけれは、きわう、なみたををさへて、わ
正:とかきくときけれは、きわう、なみたををさへて、わ