2019年4月27日土曜日

ホームパーティー

冬学期が終わり、先週から講義のない時間が始まった。春は学年が終わる時期でもあり、新学年が始まる九月のはじめまで、しばらくは大学での統一する日程がない。そのため、同僚たちとのオフでの集まりもこの時期に集中してくる。この一週間、数えてみればキャンパスでのレセプション、それから同僚の家でのホームパーティー、それぞれ二回あった。

一言にホームパーティーと言っても、その様態はさまざまだ。先週の二つも、一つは一人の同僚の定年を祝うもので、四十人程度集まり、スピーチが用意され、それもマイクを使って披露され、ホストは温かい食事まで提供してくれた。もう一つは、二十人そこそこで、珍しい食べ物を持ち寄せ、ワインやビールを片手に大いに雑談するというスタイルだった。そこで交わされた話題もじつに多岐にわたり、記憶に残るものが多かった。たとえば、つぎのようなものがあった。定年してすでに十年近く立った老夫婦は、いまでも南米での潜水を楽しみ、冬の定番となっている。熊に比べてはるかに危険の小さいシャーク、餌で引き寄せて鑑賞することさえ行われている。人間の寿命と知識の継承にみるSFと現実との距離、定年してからの学問のやり方や社会との関連、著名文学者についての研究とその作家本人との交流、著作権、娯楽、そしてベストセラーへのアクセス、などなど。思い返して、なんとも楽しい。

日常生活において、同僚ととことん飲むような飲み会はたしかにまったくと言っていいほど存在しない。あるいは飲み会の対訳語として、ホームパーティーがちょうどよい。ただし、「ホーム」が空間になっているため、夫婦連れが圧倒的に多い。

2019年4月20日土曜日

ノートルダム

今週に伝わってきた大きなニュースと言えば、なんと言ってもノートルダム大聖堂の炎上だった。SNSの投稿を覗いているうちに目に飛んできて、おそらくデマではないだろうとほかのサイトなどで確認をし、衝撃と悲しみの気持ちを禁じ得なかった。数えてみれば前回訪ねたのはすでに五年前となる。クリスマスのイブを大聖堂の中で家族全員で過ごし、忘れがたい思い出になった。(「聖書絵」)

火災のことはさることながら、今度はこれに誘発された各国の反応には、思いも寄らないものがあった。中国のネットでの議論は、なぜか百年五十年もまえの円明園焼失のことを引っ張り出したのがあって、はなはだがっかりした。さいわい、そのような言論に対して、より強くて行き届いた反論や非難が上がり、少なからずにほっとした。ノートルダムをもって不朽の名著を残したあのヴィクトル・ユーゴーが円明園の破壊に対してすでに声をあげて文明の破壊を批判していた。あの時よりも後退し、文明への眼差しを歪まれることは許せない。一方では、大聖堂の修復にかなりの寄付が集まったのだが、これもまた思わぬ形で非難を招いているもようだ。寄付した人は税金の免除を訴え、批判されてその願いを取り下げたと聞く。遠く離れたここ北米のニュースメディアはその間の経緯を取り上げ、議論の先は、税金政策をもって巨大企業に社会運営に参加させるというやり方自体への反省に向かった。教育や救済などの善行にお金を使うことは、不義の、あるいは社会からより厳しく監督されるべき経営行動から目を逸させ、一種の免罪符になったとの警鐘である。

八百年の長きにわたる大聖堂そのものについての議論は、自明なことだからだろうか、あまり大きな声にはならない。あるいは、いまのような世界範囲で、ただの古建築や文化遺産以上に社会生活全体への反省に繋がっていることこそ、ノートルダム大聖堂の重きを物語っていると言えよう。

2019年4月13日土曜日

手作りゲーム

古文授業は、金曜日をもって終了した。修了した学生は18人、クラス37時間のうち、クイズや小テスト、プロジェクトの口頭発表などにあてたのは約8時間、残りは学生たちと会話をしながらの講義だった。その中で、最後の授業はとりわけ印象に残るものとなった。

学期末プロジェクトには、自由に選んでくる古典テキスト(100から150文字程度)の翻訳、注釈、あるいはオリジナル教料開発という2つのオプションを提供した。後者を選んだのは8人、短いビデオや6つのゲームが提出された。かつて流行ったビデオゲームのテンプレートにクイズの問題を載せたものにはすでに感心したが、教室で繰り返し使った「古文オンライン」の内容をまるごとiOSのアプリにした猛者まで現われて、軽く打ちのめされた気さえした。現行のアプリ公開の手続きがあまりにも煩雑なため、すぐには利用する道筋が見えてこない。一方では、教室活動にふさわしいと思われるものもあった。最後のクラスでは、かるた、すごろく、ジェパディの三つを選び、クラス全員を三つのグループに分けて、それぞれ製作者主催で同時進行で進めさせた。静かな教室の中で対戦に夢中に取り組み、学生たちの真剣な表情、飾らない歓声、慎重に組み立てた難問、眺めていてじつに素晴らしかった。

多くの講義は、学習内容のトータルな確認を目指して学期末試験などを設けたりしている。それに対して、学生たち中心の、対戦ゲームによる復習や点検は、有効で有意義な展開だった。ちなみに、クラス活動にアクセントをつけるために賞品を用意した。小さな寿司などを模った消しゴムだった。

2019年4月6日土曜日

年号のアクセント

過ぎ去った一週間、新しい年号のことは繰り返し話題に上がった。これからの日常生活の一部になるだけに、関心は高い。そして外国語学習者にとって、日本語に接近する格好の手がかりである。その中では、レイワの読み方は興味深い。はたして「昭和」と同じなのか、それとも「分野」のように読むべきだろうか。公式発表の場ではどうやら後者を取った。一方では、この言葉は複合語彙として使われることが圧倒的に多いから、前者として定着するのではないかと想像している。

アクセントのことは、その表記からにして十分に確立していないらしい。思えば日本語を覚えたてのころ、言葉一つひとつには正しい読み方があって、それを言葉への理解などとともに記憶すべきものだと教わった。その記述としては、①型、②型といったものだった。そのような知識は、たしかに専門書や専門の辞典に記され、一部の国語辞書にも採用されている。しかしながら、完全に日本語の基準になるにはほど遠い。そして少なくとも身の回りの教育現場には浸透していなくて、たいていの学生に聞いても、そのような話は知らないと、答えはあっさりだ。

そこで年号のアクセントである。古典から生まれたとはいえ、古典にその答えを求めるのは無理が多い。古典そのものは、読み方のアクセント関連の情報どころか、読み方そのものについてすでにかなりの空白を残している。令の文字はなぜ「りょう」ではないのかとの疑問に対して、常用漢字の読み方には採用されていないからとの答えが意外と要を得ている。一方では、出典として脚光を浴びた令月の「月」はどうだろうか、正月などのように「がつ」とは読めないだろうか。古典は、そこまで現代の言語生活からかけ離れている。年号の誕生はこのことをあらためて浮き彫りにしたとさえ言えよう。